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 ピレネーで淡路を想う 15/07/05

 過去2週間はスペインで過ごしており、当週記がネットに載るころは帰途の機中になりそうです。久しぶりのスペインは、見晴らしが良いピレネーで開催された半断食道に参加が主目的でした。いずれその様子はまとめます。参加を決めてから後で少々体調不全になった私は、「申し込んでおいてヨカッタ」と「運」の強さを感じています。

 「運」といえば、当マクロビアンとの最初の出会い自体が幸運でしょう。先月も、出張先の淡路島で橋本宙八夫妻が噂にのぼり、ビックリです。夫妻は一時、淡路を拠点に、と見据えておられたが、なんと私が招聘された地はその候補地だったのです。「運」というべきか「縁」といえばよいのか、夫妻との出会いを不思議に思っています。そのようなわけで、ここではまず淡路島で次々と続いた私の幸運をまとめておきたく思います。

 まず、出かける直前に、劇的なニュースに触れました。「弥生の銅鐸 砂置場から 淡路島で7個 音ならす『舌』も」でした。出張日程自体は随分前から決まっていたのですが、朝日が『素粒子』で、車寅次郎のせりふ「ものの始まりが一なら、島の始まりが淡路島」を紹介し、いやがうえにも期待は高まりました。そして当日、神姫バスで目的地に到着すると、なんとそこが国生み神話の地域の三原「日本列島誕生の舞台」でした。

 
この出張の目的は、三原にある吉備国際大学(地域創生農学部)でのスピーチでした。私の頭には、内藤正明先生に頼まれた(到着翌朝の)90分の講義しかなかったのですが、この後も「運」の良いハプニングに恵まれました。NPO法人ソーシャルデザインセンター淡路の専務理事、木田薫さん(橋本宙八夫妻をご存知だった)が案内役であったのがよかった。到着当日の夕刻に、このセンターの集会場で用意されていた集いもよかった。

 この集会所は建設途上で、いわば「こけら落とし」。間違いなく初使用でした。ここで、三原のエジソン(鉄製電柱で薪ストーブを造った)と呼ばれる会員を始め、10名余の素敵な人たちとの愉快な数時間がまっていたのです。もちろん夕食の魚もおいしかった。

 目と鼻の先にある小島・沼島が日本列島誕生の地、二神が最初に生成した「おのころ」だと知り、私は心が熱くなりました。「ここは片田舎だ」と思い込んでいる人は、よく「なーんもないところですが」とその地を紹介しますが、三原一帯は、その反対の典型であったのです。ですから、自己紹介に力を込めました。自然循環型生活を旨とする人生哲学と、自然循環型生活の普及と繁栄に寄与する企業哲学だけでなく、この2つの哲学の下に生きてきたような私生活を語りはじめたのです。もしアイトワが三原にあり、淡路島全体に広がっていたら、理想の小国が出来ていたに違いない、とあらぬ夢まで描いています。

 それは、その場合は「この人たちとキット」と思われるような参加者に恵まれたからです。「淡路島西洋野菜園」を経営する柴山夫妻や「北坂養鶏場」の北坂勝さんたちです。木田さんは古代遺跡の案内もしてくださった。また、淡路は瓦の名産地。それが阪神淡路大震災で大被害を受けた様子も知りうることができました。ホテルの湯もよかった。

 その後、ぼつぼつ淡路出張のまとめを、と思っていた矢先に北坂勝さんがアイトワを訪ねてくださった。そのようなこともあって遅れに遅れ、今になった次第です。もし、橋本宙八夫妻が淡路を拠点にされていたら、と私は考えています。北坂さんは、車を飛ばせば簡単に日帰りできます、と語っていました。今もありありと、緑豊かな淡路島を縦断した旅が、昨日のことかのように脳裏によみがえります。「運」と「縁」を大切にしたい。
 

見晴らしがよいピリネーでの半断食道場は、この地の小さな館で行われた。今は瀟洒なホテルとして活かされている。マクロビアンの半断食道場は、昨年に引き続いて2度目の開催。私は、滞在型旅行に(NZ旅行以来)惹かれるようになっており、一石二鳥の思いで参加した。

吉備国際大学の地域創生農学部は、小高い山の中腹にあった。学生の多くは島外から、と聞いたが、何を求めて集ったのかなど、学生と語り合う機会には恵まれなかった。しかし、多大な可能性を感じた。地域を創生する農学部は、一種の革命と認識し、相当の遂行エネルギーが必要であろうが、未来志向型の最右翼、と想った。



柴山厚志夫妻

菜園の案内

菜園の案内
「淡路島西洋野菜園」では柴山厚志夫妻に迎えてもらえた。大都会での恵まれた給与所得者からの転身で、夫唱婦随。菜園の案内だけでなく、経営思想も聞けた。特定のレストランと契約しており、年間を通して魅力ある食材を届けようとするシステム。多品種少量生産にそなえる心意気。宿根化や種の自家採取の尊重。蕾、花、そして根など、あらゆる部位を食材として活かす研究心。肥料の発酵熱を活かす育苗。あるいは、露地栽培での旬の追求と、耐病性などの追求。心を打たれるところ多々だった。
淡路島は、かつて大和の国の3つの御食国(みけつくに)の1つでもあったから、柴山夫妻と是非とも再会し、もっと詳しく紹介できることを望みたい。

菜園の案内

肥料の発酵熱を活かす育苗


風通しがよく自然光で飼育

鶏糞処理に微生物を活かす醗酵処理

平飼いも試みている

北坂勝さん
「北坂養鶏場」北坂勝さんには当日、出張予定があり、無理をしてもらった。父の跡を継いだ2代目で、自分を不幸と思ったり、島を出たいと願ったりした過去がある。それだけに、今は充実しており、夫唱婦随で養鶏にかけている様子。いつか夫人に会いたい。鶏は在来種(古来種)。淡路の人口と同数の14万羽を、風通しがよく自然光で飼育。飼育方法では餌造りと鶏糞処理に微生物を活かす醗酵処理にも感心した。養鶏場特有のにおいがない。別途、「鶏の何たるかを知りたくて」と、平飼いも試みている「まるごとプリン」など新商品開発もしていた。
 それは、その場合は「この人たちとキット」と思われるような参加者に恵まれたからです。「淡路島西洋野菜園」を経営する柴山夫妻や「北坂養鶏場」の北坂勝さんたちです。木田さんは古代遺跡の案内もしてくださった。また、淡路は瓦の名産地。それが阪神淡路大震災で大被害を受けた様子も知りうることができました。ホテルの湯もよかった。
 北坂さんには訪問10日後に、平飼いの有精卵を手土産に訪れてもらえた。そして鳥インフルエンザについても語り合った。気候変動も話題になった。山里にある実家が、毎年のように浸水騒ぎに苛まれるようになった、と聞いたからだ。わが家と同様に、水利に優れた地とみてとって選んだのだろうが、それが異常気象に苛まれる時代となり、アダとなったに違いない。
 

エサ

「まるごとプリン」

淡路と言えば人形浄瑠璃発祥の地。淡路訪問の二週前に、厭離庵で都山流の尺八と山田流の筝と唄などの合奏時に、浄瑠璃について学んでいたので是非とも淡路人形座を訪れたいと願った。館長の中西秀雄さんの案内で、その歴史や栄枯盛衰の背景などを学んだ。その原型は400年余も前に、人形操り、浄瑠璃、そして三味線の3つが結びついて京都で誕生していた。徳島藩が後ろ盾となって、往年は40座が全国行脚していたことを知ったが、徳島といえば今は亡き母の出身。さらに、淡路出身だったアパレル時代の社長が、人形浄瑠璃関係者を会社にまねいたことがあったことも思い出した。アパレル時代の創業者が淡路の出身で、まだその不調が報道されていなかったことも幸いしたのでしょう。

古代遺跡は2002年秋に発見された五斗長垣内(ごっさかいと)。鉄鉱石がない島でありながら、発掘された23棟の弥生時代の村落の内12棟に鍛冶工房であり、3年前に国史跡になった。この村落があったなだらかな山の中腹は縄文時代を連想させた。

淡路と言えば、瓦の名産地。阪神淡路大震災で需要が激減、大打撃を受け、経営者の自殺者が続いた。だが、イノブタを瓦で焼く「焼き肉レスラン」の経営を思い付き、瓦造りの技術と伝統の継承にも努めている一家があると聞き、昼食に選んだ。