古びたファイルが、書斎の整理中に出て来た。すぐに「あれだ!」と思い出した。1988年夏から集め始めた「反省材料」としての新聞記事を主とする切り抜きだ。だから中にはコメントを添えて残していた。
この年は、私にとって特別の年だった。6月14日に処女作が世に出た。その骨子は2年前の1986年に完成していた。当時勤めていた会社に宛てた建白書だった。事情があって、会社宛を日本国宛に体裁を改め、仕立て直し、その骨子を世に問いかけることになった。だが、出版社から色よい返事がもらえず、日の目を見るまでに1年半を要した。
日の目をみた時に、結構書評の対象に選ばれた。それもあって、紙誌によく目を通していたが、その折に1つの新たなファイルをこしらえている。処女作の骨子にかかわると見た意見を、2分したファイルだ。もし骨子が「間違っていた」と分ったら、直ちに軌道修正したい。その反省を容易にするために、中にはコメントを添えたわけだ。
幸いなことに、反省する必要性を感じずに済み、忘れ去っていた。そのファイルが出て来た。見直したが、その幾つかは捨て切れなかった。
「その1つ」は、「絶頂期に向かう日本 幸いした早期降伏」との見出しがついており、すぐに当時の憤りを思い出した。私は、なぜ日本は「せめて10日でも早く降伏できなかったのか、ならば原爆を落とさせずに済んだ」と考えていたからだ。
にもかかわらず、なぜ幸いした早期降伏なのか。誰にとっての幸いであったのか、と考えた。だからだろう、この記事には「日本がこの人を偉い人にするようなら、日本はダメになる」とのコメントを付けていた。この人をいかに扱うかで、日本の命運も読める、と見ていたのだろう。
この人の良し悪しではない。日本の良し悪しの問題だ。学者はいろんな意見を持てばよい。「間違っていた」と事実から知れば、直ちに意見を改めればよい。それをどう生かすかの問題だ。悪しき活かし方に学者が迎合し始めたら、もはや学者ではない。プロパガンダのピエロだろう。
他方、「この考え方を尊重できないような日本では、日本がダメになる。第2次世界大戦の二の舞になる」との「メモを付したコラム」もあった。後者は加藤周一だったが、その後の意見にも賛同し続けたようで、ファイルを重ねており、この度、「その1つも残し」、後年こしらえた「別のファイルに移動」させた。
日独伊枢軸国の敗北は、1944年初夏の世界には分かっていた。連合国44か国がアメリカのブレトンウウッズに集い、その後の国際金融秩序のありようを取り決めている。
ヤルタ会談の時点では、ソ連はドイツの敗北後に、準備に3カ月を要すが、対日攻撃を始める、という密約ができている。
実はこの度、この反省のためのファイルが出てきた直前に、NHK-TVで1つの衝撃的な番組を放映した。ストックホルムにスパイとして単身派遣された陸軍武官小野寺実の葛藤だ。参謀本部は、ヤルタでの密約を知らされていたが、日本を攻撃することになっていたソ連に和平の仲介を求めている。
こうした時点で日本が事実と意見を峻別し、敗北を決めていたら、約310万人の犠牲者の過半を救えていたことになる。
実は、8月14日にNHKスペシャルは「村人は満州に送られた“国策”71年目の真実」を放映した。関東軍の指図に従って国は分村移民で大勢の農民を満州に送り続けた。関東軍は移民には気付かれないようにして先に撤退し始めている。移民村では、あらかたの男は戦闘に駆り出され、妻子や老人が残されたが、小野寺の情報通りにソ連侵攻が始まり、次々と集団自決もした。その国策にのった元村長も肺炎後自殺した。
その前に、小野寺は「ドイツは不利なり」と分析し、「日米開戦は不可なり」と知らせる。返事は「ヒオラーが不利だと誰も思っていない。不利な内容ではなく、もっと正確な情報を流せ」。これが弱気と見られるきっかけになり、尻を叩くために妻の百合子がストックホルムに派遣される。彼女はそうそうたる軍歴を誇る家系の娘であった。
その後、小野寺は「ドイツがイギリスを攻める時期を探れ」と命じられ、「イギリスではなくソ連侵攻を決めている」と知らせる。だが、参謀本部はドイツが「イギリスに攻め込めば、アメリカだけだ」と願っており、小野寺の情報を弱気の意見と見て握りつぶす。
ポツダム宣言にさえ、日本はキチンと応えていない。ついこの間まで、現首相は「戦後レジーム」を云々しながら、ポツダム宣言を読んでいなかった。だから「原爆を2発落とした上で突きつけた無条件降伏勧告」と解釈していた。
ポツダム宣言は、日本政府に、日本軍を無条件で降伏させ、解体し、日本国民をファシズムから解放することを求めたものだ。だが、当時の政府は、国体の護持に固執する軍部の意見に振り回され、つまり戦争を遂行した体制を護ろうとする意見に押され、ぐずぐずして8月6日を迎えてしまった。さらに、なすすべもなく3日後の9日も迎えてしまった。
実は先週、NHK-TVは、長崎の原爆は落とされずに済ませられたはず、との証言も放映した。諜報部は、アメリカ軍が広島の場合と同じ動きを投下5時間前につかんでおり、参謀本部に刻々と知らせた。片や当方面には迎撃部隊があり、元パイロットに登場させ、5時間も猶予があれば投下前に撃墜できたはず、出撃命令を今か今かと待っていた、と語らせた。なぜか、ついに、参謀本部は動かなかった。
私は、もちろんこのような事実を知る由もない。だが、8月15日が「幸いした早期降伏」ではないことは分かっていた。国民の立場をおもんばかって直ちにせめてポツダム宣言に応じるべきであった、と思っている。受忍させられる国民の立場よりも、自分たちの立場を優先したものであり、悪しき時期であった、と常々考えて来た。
つまり、いっそのこと、さらにぐずぐずしてドイツのように、本土での地上戦を国民が経験していたらどうなっていたか、とさえ考えた。もちろん、私も生き残れはしなかったかもしれない。母は本気で竹やりを振り回していただろう。恐ろしい話だが、その方が日本の後世のためにはよかったのではないか。
国民はドイツのように、戦争を遂行した体制の護持を許さず、ドイツのような道を歩んでいたのではないか。ドイツは、アウシュビッツ虐殺はウソと発言すること自体を犯罪とするまでになり、国際的信用と融和を尊び、欧州の優や安定の礎にしている。
わが国も学ぶべきだ。従軍慰安婦問題ではせっかく非を認めたわが国だ。東洋の優や安定の礎にし得る好機である。これまで国民に誤解を与えてきたことを重く受け止め、従軍慰安婦問題に日本軍が、すなわち日本が関与していなかったとウソの発言をすること自体を犯罪にしてはどうか。日本の国際的地位は飛躍的に向上する。
近隣各国との融和のきっかけとなり、疑心暗鬼が解消に向かい、さまざまな懸案が平和裏に解消するに違いに。憲法9祷があるだけに、通すべき筋が通しよくなる。
このたび1988年夏の想いを振り返る機会を得て、想いがさまざまに広がり、心が高鳴る思いがした。爽快だ。
当小文がほぼ出来あがった25日に「百合子さんの絵本〜陸軍武官小野寺夫婦の戦争」の再放送があり、録画しながら鑑賞し直した。
敗戦後、小野寺夫婦は自宅の居間で、次のような会話を交わしていた。
百合子さんは「あのころ陸軍の参謀本部で私たちの電報を読んでいた人が出ていますヨ」といって雑誌『財界』を夫に手渡す。もちろん、その顔写真は似て非なる人を用いていたが、私にも見覚えのある記事であった。「陸軍時代の経歴が輝かしい」と記されていた。
「作戦本部で参謀をやっていた人ですね」と百合子さんは続ける。「元大本営参謀本部から、今は財界のご意見番ですって」「勝った国の軍人みたい」
敗戦時に、50万人からの日本兵を強制労働者としてソ連に引き渡し、東京裁判ではソ連側の証人として出廷した元大本営参謀本部の軍人がいた。その人のことではないか、と私は憶測した。百合子さんは、陸軍武官であった夫に、次のように語りかけた。
「誰かが本当のことを言わなければ、こういう人が次々と出てくるんだと思いますよ」
「そういう人がいて、あなたのような人がいて、なんか変ですよ、日本は」
私は共感した。日本のためには、とりわけ日本の未来のためには、国の事実は国民にキチンと知らせ、国民が胸を張って世界を闊歩できるようにすべきだ。それが、国の「負の歴史」や、その負をしでかさざるを得なかった人たちへの「ご苦労様でした」との真の共感になるはずだ。さもなければ、主権者たる国民を「知らぬは国民ばかりなり」にしてしまい、胸を張って国家や国旗を崇められない。国民は、国を崇めたい。
その目に実に奇妙な広告が留まった。途方もないウソをついて国民を好きなように翻弄した大本営と、現代の国民主権国家である日本があまりにも似ていると指摘し、その主張を過去の事実で知らせる一書だった。こんなことを許しておいてよいのか。
いったい首相は何を考えているのか。どのような国を目指して国民を誘おうとしているのか。かつて、首相は多くの国民に疑問を抱かせただけでなく、国際社会での信用を失い、軽蔑されている。この2年の間に、歴史観をいかに定めたのか明らかにしてほしい。
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