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アイトワ循環図

室内温度16度に設定 05/12/19

 本格的な冬の様相となりました。水鉢に張った氷が終日解けないとか、落ち葉が乾燥してカサカサ音をたてるとか、サザンカの盛りが過ぎたとか、妻が薪ストーブを焚きはじめたとか、鼻がツーンと痛くなるなど、「もう冬だ」と実感することが多くなりました。でも、まだクヌギは小枝に半分ほど葉を残していますし、楓の中にも葉を落としきっていないのがあります。

 来客の多い週の前半でした。急がれている原稿やシラバスづくりに追われながら、魅力的な来客が多く、つい私が引き止めがちになりました。火曜日にお迎えした「麦の家」の山崎さんご夫婦と翌日の大勢の学生は対極に位置する人たちでしたが、共に心を惹かれました。前者はお土産に自家製のブロッコリーも持参していただいた農的生活者ですが、後者は畑で育つブロッコリーを始めて見る人が多数を占めた学生でした。しかし、共通点がありました。

 山崎さんご夫妻とは、気がついたら6時間以上も話し込んでいました。互いに土に根ざした生き方をしていますから、時間の大切さを痛いほど知りあっているはずなのに、時が経つのを忘れていたのです。忙中閑とはこのことでしょうか、スローライフの醍醐味といえばよいのでしょうか。ストーブも明かりもつけず、薄暗くなるまで話し込んだのです。互いに冬の室内温度を16度程度に設定していたことも分りました。偶然の一致でしょうか

 妻は、来春の銀座での個展に向けて、新たな展示会用の作品集もつくろうとしていますから尻に火がついた状態です。しかも、火曜日はアイトワの定休日ですから終日人形創りや撮影などに打ち込みたかったはずです。しかし、ケーキを焼いてお待ちするだけでなく、うどんを打ったりお善哉を作ったりしてお付き合いし、会話に加わっていました。互いを思いやりながら肩を寄せ合って生きるご夫妻から、新鮮なエネルギーなどを頂戴していたのでしょう。

 私たちにとってはとりわけ大切な小麦粉と小豆が、最も望ましい出番を得たわけです。ご夫妻は長年にわたって自分で麦や小豆も育ててきた人たちです。善哉の小豆を一目見て、丹波大納言の中の大納言、と気付かれました。フスマ交じりの粉を用いた黒いうどんにも満足してもらえました。かくして私が始めて育てた小麦の粉が使い切られたわけです。大納言はまだ残っていますから、次はアイトワ塾生に賞味してもらうことになるでしょう。

 学生たちには、エコライフガーデンとは何か、なぜアイトワと名付けたのか、彼らの年齢の頃に私は何を考えていたのか、今の若者に何を期待するのか、などをかいつまんで語り、生きる気概や希望を心に秘めたり、夢や目標などを見定めたりしてもらいと願って小レクチャーをしています。引率した教員の良き感化のおかげでしょうが、学生は真剣な眼差しで耳を傾けましたし、未来は今の延長線上にあるとも思っていなかったのか、今の価値観に固執していなかったようです。礼儀正しく頭がやわらかそうでしたから、妻たち女性たちも好感を抱いていました。

 木曜日は好天で明けました。急いでウコンを水で丁寧に洗い、干しました。久しぶりで手がかじかんでしまい、しばらく指を動かせませんでしたが、自分で洗ったおかげで新発見がありました。ウコンがヒゲイモを作っていたのです。午後は、ユリネを越冬箱から取り出し、その跡にウコンの来年の種にする根茎を埋け、取り出したユリネを畑に植え付けています。

 今は金曜の昼下がり。午前中の大学での講義を終えて帰宅し、友を待っているところです。一緒に京都駅まで講師を出迎えに行き、アイトワ塾の合宿会場に向かう予定です。そこは露天風呂もある某鉄工所の施設です。土曜日は、その施設から講師と私は別の集いの場に駆けつけますが、これも年に2度ばかり参集している恒例の集いです。



「麦の家」で育った野菜や果実です。麦の家は、わが家とは京の市街地を挟んで反対側にありますが、そこからやって来た露地作物です。ご夫妻を見送った後、わが家のネギを収穫し、当夜はこの野菜を用いた鍋物でした。翌朝のお粥に、妻はこの大根の葉を刻んで炒め、添えていました。

水鉢で凍りついた金魚です。氷が解けたらまた動き出します。迎えいれた学生たちは、とても不思議そうに覗き込んでいました。こうした冬越しをさせますから、秋には少し多い目の餌を与え、太らせています。この水鉢には大賀ハスを植えてあります。

逞しく生きて欲しいと願った若者でした。ローリエやシナモン、ローズマリーやブロッコリーを知ってはいましたが、木に茂る葉や、樹皮とか、路地畑で育っている状態で見知っていた人はきわめて少数派でした。今週は逆に、息子さんが地下室で育てたという「洗わずにすむレタス」を持参してくださった知人も迎えています。近く見学に行きます。
飛び切り美味しいニシンそばを、久しぶりで味わいました。大垣に京都流のニシンそばを出す蕎麦屋があります。そのご夫妻が、見事に煮込んだニシンを手土産に立ち寄ってくださり、妻がそれを生かしました。大垣泊りをしていた頃は、会議などで外出した折によく昼食などで立ち寄ったところです。

木曜日の朝の野菜です。外部の水道も凍り、霜柱が立っていましたから、氷点下になっていたのでしょう。野菜は太陽が昇ると元の状態に戻りますが、翌朝もこの状態になります。春になれば董をたて、花を咲かせますが、それまで数十回にわたって凍てたり戻ったりを繰り返し、次第に軟らかさや甘さを増してゆきます。露地野菜の醍醐味です。
好天の寒風で乾燥させ始めたウコンです。これまでは妻が染料に用いる程度しか作っていませんでしたが、今年はこんなに取れました。干しあがれば粉にして食用にも生かしたいと思っています。いよいよ石臼を現役復帰させる必要がありそうです。右は、ウコンの根茎から伸びた根の先にイモができていたことを示しています。

 

今年の麦です。金曜日、朝7時の状態です。昨年と同じぐらいの広さの畝に種を播きましたが、種の量は三分の一程度に抑えました。前回の経験から、それできっと同じぐらいの収穫がありそうだ、と睨んだわけです。私の最初の畑仕事は母のお手伝の麦踏みでした。母のしていることを真似ることが、私にとっては「遊び」であったのかもしれません。