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コミュニティーと景観 08/11/02

 今週のエピソードは6つでした。まず2つの講演を夫婦そろって聴講することから始まったような1週間になり、週末は大いに気が張る庭の見学に応じました。その間に、最初の勤め先・伊藤忠時代の仲間15人を迎えたり、2度もお爺ちゃんの心境に浸ったり、風邪の完治に努めながら2週間ぶりに庭仕事を再開したり、フランスからの来客でてんてこ舞いを演じたりしています。

 先週土曜日の夜、母校の小学校で「空海のデザインと嵯峨天皇」との演題で、前大覚寺宗務総長の坂口博翁さんの話を聴きました。その帰路、最寄に住むアイトワ塾生の家に立ち寄り、1度目のお爺ちゃんの心境に浸っています。翌日曜日の午後は、市中にある女子大学に出かけ、「京の西庵の遺伝子」との演題で、建築家・山本良介さんの話に耳を傾けました。

 嵯峨天皇はわが国の華道の始祖で、その心は嵯峨御流に受け継がれています。また、黄櫨染と呼ぶ光の都合で発色が変わる日本古来の染色法を独占した人です。当週記の本年9月28日付けで触れた染法です。また、26人の夫人と50人の子どもに恵まれた人とのエピソードも知りました。

 「京の西庵の遺伝子」とは何を意味するのか。興味津々で出かけ、感動しました。京都には西山とか洛西と呼ぶ地域があり、東山と対をなしています。この両者の特色と価値をスライドを用いて指摘し、西山一帯は「西庵」と呼ぶにふさわしいとの指摘と、そのためにも小倉山と嵐山の峻別など地名を大切にしなければいけない、などとの呼びかけでした。

 いわれてみれば、私は「西庵」の一角・小倉百人一首発祥の地に、65年前に疎開で住み着いたことになります。そして当時の一帯の景観を思い出しながら、なぜか責任感にさいなまれたような心境になりました。とりわけ、演台のスクリーンに映し出された最後のスライドにドキッとしました。「この1枚を見ていただきたかった。この生活感、生の営み自体が観光資源です」との指摘を受け、その気持ちはピークに達しました。隣に座っていた妻も、なぜかモゾモゾし始めました。それは、妻がある事件を思い出していたからですが、これは後日に回します。

 火曜日は商社時代の仲間を阪急嵐山駅に迎え、終日この15人と過ごしました。アイトワの見学と昼食、常寂光寺や落柿舎など近隣の案内、トロッコ列車で湯の花温泉に移動し、入浴と酒宴、そしてJR嵯峨嵐山駅で別れるまで、大いに語らいました。トロッコ列車に乗り込むときに、何でここが嵐山駅だとの仲間の指摘と疑問がとても強く印象に残りました。

 水曜日は終日庭に出ました。いわば慣らし運転です。「トマトもツルムラサキも、ナスビもトウガラシも、まだみんな収穫しています」と妻は主張しました。たぶん私に、畝作りという激しい仕事に手を出させないためでしょう。ですから、温室の整理や畝の除草、あるいはポットで育てた苗を畝に下ろす作業などに終始しましたが、それでも腰がバンバンに張りました。

 木曜日から超多忙になりました。2度目のお爺ちゃんの心境は、その夕刻にニュージーランドの海詩一家が、1泊で訪ねてくれたからです。その夕刻までは庭仕事に精を出したり、海詩に夕食を野小屋で振舞いたくてその準備に精を出したりしています。その間に、次の本のイラストや追加の写真の指示を受けたり、魅力的な原稿依頼が入ったりして気ぜわしくなりました。

 金曜日の午前中は海詩とのんびり過ごしました。その間に海詩の両親に野小屋の後片付けなどをしてもらいました。午後は、海詩一家と入れ替わりにフランスの来客5人を、3泊4日で受け入れました。土曜日はずっと以前からの約束で、環境問題に精通した高名な学者が引率された某県庁のスタッフたちをアイトワ見学で受け入れ、夕刻からアイトワ塾の仲間とフランスの来客をわが家でもてなします。妻は超多忙なのに、私の風邪を悪化を心配しています。

 
前大覚寺宗務総長の坂口博翁さんの講演は、小学生時代の母校の講堂でありました。坂口さんは高校時代まで私の後輩です。この小学校には、過日の地域運動会で訪れており、私の生活パターンが良い方向に変化したことを実感しました。勤め人の時代は、地域コミュニティーの動きにはほとんど関われませんでした。

日曜日にあった山本良介さんの講演では、最後にこの一角を納めたスライドが示されました。その2日後に商社時代の仲間を迎え、落柿舎に案内した時にこの写真を撮りました。この写真と、山本良介さんが最後に示された写真との間には決定的な差異がありました。その差異は最後のスライドを手に入れてから比較したく思います。その影である事件が生じていたことを妻は聴かされていたのです。

今週1度目のお爺ちゃんになったような心境。最寄に住むアイトワ塾生の娘で、藍花という名前です。1房のブドウなどをお裾分けするために立ち寄りましたが、「センセー」といって玄関に飛び出してきました。両親が私を先生呼ばわりしますから、藍花ちゃんも両親に倣って「センセー」と呼びます。

藍花ちゃんへのブドウなどのお裾分けが味噌煮込みうどんに化けました。大垣で寝泊りしていた頃に覚えた味を思い出しながら、久しぶりに「味噌煮込みうどん定食」のような夕食を妻に用意してもらい、楽しみました。大垣時代は、毎週のように一度は味わったものです。

2度目のお爺ちゃんの心境は海詩のおかげです。海詩の母親の実家が神戸にある関係で、年に1〜2度里帰りをすると、時間をやりくりして訪ねてくれます。今回は野小屋ですき焼きをしましたが、海詩にとってすき焼きは初めてとのこと。この2人の他に、お爺ちゃんの心境にしてくれる子がもう2人いるのですが、久しくあえていません。

冬子のシイタケが出始めました。まず数年前に種駒を打った残り少ないホダ木から出ました。まもなく、一昨年に打ったホダ木から出ることでしょう。去年も打ちましたが、それはまだ寝かせたままですが、風邪が治りしだい立てかけたやろうと思っています。

フランスからの来客を「苔香居」に案内しました。茶席での茶道の体験から始まり、今日では再現できそうもない着物の見学や、旧家の道具部屋を見せてもらったりしました。11月下旬には着物の虫干しを一般公開するとのことですが、妻はアイトワの喫茶が超多忙の時期で参加できないことを悔しがっています。