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木積りと人生相談 11/01/23
 
 先週末、早朝の居間の室温が8度に戻ったと喜んだのに、今週は、起き抜けに「ブルッ」と身震いするほど寒い朝から始まりました。にもかかわらず、パンツ1つになって冷水で首筋や二の腕まで洗う私流の洗面を再開したのです。暮れに鼻風邪を引いてから中断していました。裸のまま居間に移動してカーテンを引きますと、庭には分厚い積雪。室温はついに5度になっていました。結局、雪に閉じこめられた1日になり、来客の応対をした他は終日書斎に籠もりました。来客は若い夫婦で、人生相談でした。

 月曜日は昼過ぎから25人の学生を迎え、学外講座の案内のために庭を2周しました。先の1周は1人で周回路の雪かきでした。今回は調理学校の人たちでした。そこで、どのような未来が待ち受けているのかを丁寧に説明した上で、「即興詩人のごとき調理人たれ」と迫り、1つの提言をしました。つまり、あり合わせの食材を用いて、初めて試みる料理を美味しく仕上げられる人を目指せ、と迫ったのです。たとえば、食材がジャガイモしかなくても、100通りぐらいは美味しい料理を創り出せる人になれ、と訴えたのです。

 火曜日も大きな1日になりました。かつて、使い込んだマサカリや小さな手斧を持参してくださったことがある津川吉則さんという造園師を迎えたのです。そして、初めて「きづもり(木積り)」という言葉を教えてもらうなど心地良い会話が進みました。すべて手打ちでノコギリも生み出せる最後の鍛冶師や、山からキンマを用いて木材を切り出せる杣人(そまびと)も話題になりました。また、津川さんのご子息はこうした職人に弟子入りを認められるだけでなく、学んだ技の生かし方について見事な展望の持ち主だと知ることができ、とても心強い気分にされました。いつかご子息にもお会いしたい。

 翌19日は3日続きの好天でしたので、まず畑に飛び出してレースの覆いを外しました。まだ期待通りに雪が溶けておらず、レースのトンネルの上には雪がかなり残っており、しかも凍てていました。無理矢理に剥ぎとるようなことになりましたが、野菜に朝日を当てたかったのです。同時に、妻と相談してケンとハッピーの居場所を変えました。ケンを、寒風にさらされない屋内だけど日当たりがよくない風除室から、屋外だけど日当たりが良い居間の縁先に出してやったのです。日光浴をさせたかったのです。

 午後は本格的な庭仕事でした。翌日までに雪が溶け去ることを願いながらさまざまな下準備をしました。3人の学生が訪ねてくれることになっていましたので、その段取りをしたわけです。その間に2件の来客がありましたが、その1人は週末の東京出張に着いて行ってもらう岡部達平さんでした。最後の打ち合わせをしたのです。

 木曜日は学生のおかげで随分庭仕事がはかどりました。金曜日は、早朝から1泊2日の出張でしたが、岡部さんのおかげでとても楽しく過ごせました。庭仕事は、薪の移動、ヒノキ林の間伐、そして数本の竹の切り取りでした。東京出張は、久しぶりで2週続きになりましたが、しかも今回は少しかさばる着替えを持参しながら重い思いをせずに済ませてもらえましたし、講演時には見事な助手をしてもらいました。

 このたびの講演は万感の思いを込めていました。繊維産業で立国した日本ですが、今やわが国の繊維産業は縮み上がっているかのように見えます。しかし、私の目からみると、3度目の好機、大勢を立て直すまたとないチャンスを迎えているからです。この好機を生かせないと、少なくとも繊維産業はジリ貧状態に陥れられかねないでしょう。
 
分厚い積雪で明けた週初め。今年の2番雪です。雪のせいで庭仕事は、周回路の雪かき、温室の水やり、そして風呂焚場への薪の運び込みなどの他は、20日の木曜日までできませんでした。木曜日の1日で、それは3人の学生のおかげですが、4日分のブランクを埋められたのです。私一人なら、4日はかかりそうな仕事を済ませられたのです。

調理師の卵を迎えました。その未来をより明るくする助言がしたて迎に特有の魅力を感じたからではないでしょうか。私は早晩、職人が見直される時代になる、と見ています。この学外公衆の印象記を既に贈ってもらいましたが、ほぼ全員が「わたしは(演奏家型ではなく)作曲家型の調理師を目指したい」と記していました。

今週最初のいただきものは干し柿でした。この人には暮れにも、果糖(?)の白い粉が吹いた干し柿をいただきましたが、また異なる品種の柿でつくった手作りの干し柿をいただいたのです。干し柿づくりがどれほどの手間がかかるのかを知っているだけに、ありがたみはひとしおです。

レースのトンネルカバーは、雪と霜と霜柱でバリバリに凍りついており、まるで板をはがすようなありさまでした。カバーが風で飛ばないように抑えていた石はもとより、畝の肩にかぶせていたコーヒーカスやフィルター、あるいはレースに触れていた野菜の葉までが凍りついていました。

夜なべ仕事としてローリエの小束づくりをしました。古い葉や虫が食った葉をちぎりとり、ぶら下げて干せるように銅線で束ねたわけです。倒れたときに根を痛めたローリエの木を、大幅い切り詰めたわけですから、うまく根付いても数年は充分に葉を収穫できないものと思います。そこで、小束をたくさん作り、多くの人にお裾分けしたくなったのです。

講演には「でにむどす」で望みました。講演内容は、なぜ「でにむどす」で望んだのかを紐解くようものでした。41年前の繊維業界への提言から振り返り、繊維業界が最後の好機を迎えていることを訴えました。なぜ3度目なのか、いずれ詳しく触れたく思っています。

週末の1日は、靖国神社の見学から始めました。次いで前日の反省会をかねたブランチ、パタゴニアの創業者が出演する映画鑑賞、最後は渋谷のパタゴニアの直営店見学でした。靖国神社を初めて訪れましたが、それは日本が経済戦争でも二の舞を演じ始めかけているようだとの危機感がそうさせたのでしょう。いずれこの点も詳しく触れたく思っています。