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 道具の力と鉄砲刈 13/02/24

 アイトワ塾の合宿は、雪の大原で日曜日の朝10時に解散です。前夜、江戸時代の「共同性と公共性」について多くの時間を割き、日本人の公共概念の欠落は「いわば伝統なんだ」との印象を受けました。翌日曜日はいつものように8時から朝食を始め、前夜の余韻を楽しむかのように1時間余の自由討論の時間になりました。この度もこの席で実に大きな収穫がありました。キーワードとして「1720年」「5代将軍綱吉」「殺生憐みの令」などが心に残り、綱吉は「秀吉の刀狩」に対して「鉄砲狩」をしたわけだ、と見てとりました。

 その後、後藤さんの世話になって、綱吉の生母・桂昌院(玉の輿のお玉さん)ゆかりの今宮神社を皮切りに、書生を「京めぐり」に誘いました。楽美術館で芸術と世襲について考え、紫式部の墓で時の流れに想いを馳せ、和傘の日吉屋など京都の伝統産業を概観して「職人の技」に感嘆。昼食(美濃吉)と喫茶(長楽館)の後、木津川に架かる流れ橋「上津屋橋」まで足を延ばし、帰途は広大なホームセンターに立ち寄り、夜の8時に帰宅です。

 月曜日は雨になりました。前夜の帰宅時に、妻に促されて調理窯づくりで用いたビーチテントを(乾いていた間に)たたんでおいてよかった、と思いました。午後、ある大学教授がゼミ生を連れて雨の中を訪ねてくださった。過日、書生がゲストスピーカーとして招かれた大学の一行です。書生のスピーチが「アイトワに行ってみよう」との興味をそそったわけですから、ありがたいことです。夜はTVでウイル・スミス主演の映画『幸せのちから』を鑑賞し、工業社会に翻弄される人たちの姿を垣間見る思いがしました。

 火曜日は雪で明けましたが、昼までに上がり、午後は調理釜づくりで用いた道具の後片づけに割きました。ダイヤモンドカッターで赤煉瓦を切りまくったり、耐火漆喰を用いたりしましたから、まず雑巾やタワシで道具の掃除から手を付けることになり、随分時間を取られました。ついで、何十種類にも及んだ道具を、ワークルーム、野小屋、温室、あるいは風除室などにある所定の場所に収納です。これら道具を一輪車に乗せて運び込みながら「道具は人間の延長だ」との実感を得ており、少し誇らしげに感じています。

 水曜から泊りがけの東京出張でしたが、用件は第一回Recouture塾展とその終了式で、家を11時に出れば間に合いました。ですから妻もおそがけに起き出し、しばしケンの相手をしていました。ケンはこのところ元気で、よく鳴きます。東京では、会場が原宿通りでしたから2度も竹下通りを往復し、その一帯で初めて喫茶や食事も済ませました。久方ぶりの竹下通りは代わり映えがせず、一刻も早く工業社会に翻弄されたような空間から脱出したくなっています。自然の営みを体じゅうで感じられる生活がいとおしい。

 金曜から土曜日にかけて雨が降らなかったのも幸いでした。久しぶりに「庭仕事がたっぷりできた」との実感を得ています。次週月曜日に7人もの学生を迎える予定ですが、いわばその受け入れ準備でした。囲炉裏場の水路をセメントで固めたり、風呂桶大のプラスチック容器を埋め込んだり、幾本もの竹を切り取ったりしてもらおうと思っていますが、それら作業の意義や狙いを学んでもらい易くする準備でした。

 水島さんには、この間に、想定外の大雨対策に取り組んでもらっています。妻の頭痛の種であった井戸問題を解消する作業と、太い排水パイプを2本も畑に縦貫させましたが、その排水パイプを活かすための集水プール作りです。もちろんこの集水プールは、通常時には雨水が溜まるようにしておき、畑の水やりに用いる予定です。
 


延々数時間に及ぶ質疑

 雪景色の週初め
延々数時間に及ぶ質疑などで先週は終わりました。雪景色の週初め、フリーディスカッションの後、大原を10時過ぎに後にして、お玉さんや紫式部など歴史を彩った人たちを忍んだり、伝統工芸を紹介する施設や日吉屋で「職人技」の継承を見て安堵したり、はたまた芸術を世襲に挑む限界に同情したりする1日になりました。

お玉さん

 紫式部の墓所


流れ橋「上津屋橋」

 


とても大きなホームセンター

ついでに、と週初めに足を伸ばした流れ橋「上津屋橋」は、想像を超えていました。帰途、とても大きなホームセンターに案内してもらい、品ぞろえの良さに驚き、妻と再訪したくなりました。2Fには手芸関係の売り場があるようです。

品ぞろえの良さに驚き

品ぞろえの良さに驚き

月曜日は、調理窯づくりに用いた道具の掃除と所定の場所への収納日になりました。これらの道具の他に、陶芸家・村山光生さん持参の道具や、妻の人形工房から取り出した道具も用いています。用いた道具の中で唯一の電動具はディスクグラインダーでしたが、濡らした煉瓦を切りまくる酷使に耐えられなかったようで。故障しました。


ペンキ仕事
 
ペンキ仕事


コンクリートを流す型枠づくり

金曜日は、ペンキ仕事の後、コンクリートを流す型枠づくりに携わりました。過日、囲炉裏場の南面に設ける排水路を学生に造ってもらいましたが、基礎をコンクリートで固め、その上に御影石の切り石を並べ直すことにしました。セメントを練って流し込む作業は学生にしてもらいます。


焚火の準備
 
焚火の準備


仕立て直した最初の畝

土曜日は、ジャガイモの植え付けと、2日後に迎える学生に焼き芋を振舞いたくて、焚火の準備(夜分などはブルーシートをかけておきます)に当たりました。ジャガイモは、畑に縦貫させた排水パイプ(その上を一輪車用の通路にします)にそって仕立て直した最初の畝(黒く映っている)に、植え付けたものです。これまでの通路は畝間の畦にします。


井戸

JRのトンネル工事以降、井戸は渇水と大雨時の異常増水に悩まされてきました。このたび、思案に思案を重ねた挙句の造作をしました。長年の懸案でした。このハッチを取り付ける造作が功を奏すれば、なぜもっと早く試みなかったのか、との思いがします。排水ポンプを残しますが、これで停電の恐怖からのがれられます。もちろん、いざという時のために、手汲みポンプを装着できるようにしています。


種酒を送ってもらいました

J紅梅園から種酒を送ってもらいました。紅梅園を創出した徳重文子さんは、子どものころは病弱だったそうです。父親が試みた木の実の種を活かす治療法で救われたそうですが、究極は梅の種であったようです。この種酒はとても香りが良く、オンザロックや、ソーダー割り、あるいは湯割りを試みましたが、とてもおいしい。