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アイトワ循環図

 総仕上げ、道具と鬼瓦 13/07/07

 週始めに「一人前の庭師さんネ」と、妻に冷やかされました。わが家には約200種1000本の樹が生えていますが、1種1本しかない樹もあります。サラ、ハクモクレン、そしてヒメコブシも各1本しかありませんが、この3本の広葉落葉樹が生えているのは中庭の一角(座敷の前)です。冷やかされたのは、ここを妻が夢見る苔むす庭にするために造園していたときのことです。

 ここにミツバチの第2巣箱はあります。つまりこの3本は、座敷と第2巣箱のための完全自動スダレの役割を担っています。この3本がまだ若木であったころは、大きな円卓状のツツジの植え込みが2つありました。その後、この3本が成長して円卓状の植え込みを日陰にしましたから、佛教大学の学生に切り取ってもらい、根を掘り出し、赤土を敷いてもらいました。コケが勝手に生えることを期待したわけです。ところが、ここは坂地ですから、雨のたびに土が少しずつ流されました。そこでこのたび、佛教大学の学生に赤土を追加してもらい、完成させたわけです。

 火曜日は、妻に「一人前の瓦やさんネ」と冷やかされました。それは彬さんが(過日亀岡に出かけて購入した新兵器を駆使し)横穴を掘り上げた直後のことです。この入口に「鬼瓦のお飾り」を付けることを構想し、電動カッターを取り出して、瓦を加工していたからです。

 この間に素晴らしいことが2つありました。まず伸幸さんが里帰りして、彬さんと2人で、この2泊3日を息子のように振る舞ってくれたことです。2つ目は月曜日のことで、伸幸さんが送迎した来客です。しかもハプニングまで生じ、より充実した昼時になりました。来客は、自称エスティシャンの今野さんですが、ただのスペシャリストではなく、次代の旗手(ビブギオールカラーのイメージ)にぴったりの自己完結したジェネラリストです。ハプニングは、妻が仲良くしてもらっている芸術家(イラストレイターの)永田さんに立ち寄ってもらえたことです。

 雨で明け、終日断続的に降った水曜日は、彬さんが「今日は大工さんに弟子入りですか」と妻に冷やかされています。私には来客と外出の予定が入っており(庭仕事はできず)、夕刻から大工仕事に取り掛かった時のことです。実はこの朝、彬さんと今後の在り方を話し合っており、最後の課題としてある道具の補修を与えています。そのあとの彼は、ノコギリの目立てに挑戦し、夕刻に大工の弟子入りとなったわけです。それは、横穴に断熱扉を取り付けることになり、その制作に参画することを希望したからです。来客は橋本宙八夫妻で、食問題が主なテーマでした。外出はお隣の常寂光寺で、市職員を迎え、過去も振り返りながら重大な意見交換をしています。

 木曜日も雨がちで、ほぼ屋内で過ごしました。午前中は卓人さんを迎え(庭仕事ができないので)彼の修士論文の参考になればと、次代について語らっています。午後は書斎にこもりました。その間に妻は、温室でポットに種まきをしたあと、掃除をしています。彬さんはバイトです。

 金曜日は(前夜同様に夜半に強い雨が降りましたが)明け方には上がっていました。夜半の強い雨で、大きく育った魚が2匹、ショック死しました。彬さんはバイトでしたが、出かける前に、妻からズイムシに襲われた庭木の(農薬を活かしたピンポイント)治療法を、帰ってからは私と、風呂釜の煙突掃除を手段化して3つの鬼瓦の装飾を固定する作業をしています。この間に私は、鹿児島大学で世話になった教員を迎え入れています。関西での学会のついで、とのことでしたが、とても辛い寄せ書きに一筆求められたり、博士号をとった報告を受けたりしました。
 
 週末は、彬さんに何を伝授しようか、と考えながら目覚めました。締めくくりは、塾生の野中さんが出店する「でにむどす」の新店の祝いに出かけうことです。今週は、久しぶりに庭のキノコをスケッチしましたが、キノコ博士によれば、今年はキノコの出がとても少ないとか。
 

ここがコケむす庭になり、サラの白い花がここかしこに落ちている光景を妻は夢見ています。そこで、学生に相当量の赤土を運び込んでもらい、私が自然石をもち込み、赤土が雨で流れにくい構造にしたわけです。完全自動スダレとは(電動ボタンを操作する必要さえなく)夏は木の葉が茂って自動的にスダレの役割を担い、冬は落葉して陽を通すことを意味しています。

「一人前の瓦やさんネ」と冷やかされた折の記念撮影。「あの新兵器があれば」と思って買い求めた道具を活かして、彬さんは横穴を完成させました。そこで考えたのが仕上げ方。この鬼瓦のお飾りを付ける案に、妻は反対でした。案の定、いつものように、完成した姿を見せると「引き締まりましたね」と喜んでくれました。

電動カッターを取り出したついでに、囲炉裏場の装飾として2つの大きな鬼瓦を設置する作業も済ませました。次回訪れた佛教大学の学生に、3代にわたって取り組んできたミッションが(やっと)結実した「形」を目の当たりにしてもらい、その「意義」に想いを巡らせてもらおうと考えています。

週初めに、彬さんは(キウイフルーツ棚の下にこしらえた畝に)ニラの株を移植しました。妻はそのニラを植え直させ、その折に切り取ったニラの葉で餃子をつくりました。それは、週初めに多様なパンを手土産に里帰りした伸幸さの好物です。折よく(伸幸さんの奥さんにもらった苗から育てた)アーティチョークも4つ採れましたし、トウモロコシも初収穫。夕餉は賑わいました。翌朝食は、多様なパンとわが家の野菜が主役でした。

一家言をなしたお二人を交え、充実した昼時になりました。エスティシャン世界1のタイトルもとった今野さんは、伸幸さんが送迎しました。今野さんとは、私は3度目、妻は2度目の触れ合いにすぎないのに、私たちには旧知の仲のように思われました。

葬送の寄せ書きでした。4年にわたって鹿児島大学に出かけましたが、早朝の銭湯(温泉)巡りや講義の後の飲み会などを一緒した若者の1人が、夭逝です。今もその声や水産にたいする夢を覚えています。

ノウゼンカズラのアーチが期待通りに育っています。今年は、反対側の脚から白い花をつけるセンニンソウを登らせていますが、この秋には根ごと掘り出し、ノウゼンカズラ専用のアーチにします。あと10年ほどで、この金属製のちゃちなアーチは腐り、ノウゼンカズラが太り、ノウゼンカズラ単独のアーチになるものと考えています。そのころ、世界は様変わりしているでしょう。