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アイトワ循環図

 2枚目のスダレと「骨壺」 13/12/22

 タマネギの畝を除草したうえでトンネル栽培に切り替え、ヘチマなどの棚の恒久化を計る石囲いをし、義妹にもらったマルチング材をブルーベリーの根元に敷くことから1週間は始まりました。

 前夜(14日土)から一帯では「花灯篭」と呼ばれるイヴェントが今年も始まり、周遊道がライトアップされており、24日まで浮かび上がっています。これが始まると決まったように一帯は京都らしい冬の天候になり、今年も例外ではありません。冷え込んで霧雨のごとく細かい雨に見舞われがちです。ですから道行く人を「この寒い中をよくもまあ」と驚きながら眺めています。

 今週は事情があって外出は一切控えるなど、無理のない日程を組みました。月曜日の夜はアイトワ塾。火曜日午後は橋本宙八夫妻来訪。水曜日の夕刻は村山光生夫妻の来訪。そして週末に迎える10人の佛教大学生の他は、大事な用件で迎えた来客だけでした。この大事な用件はいずれ取り上げます。この間に、ちょっと気が張る(相手から寄稿する機会を与えられた)短いエッセーの構想を練っています。妻は、正月に載るよていの短文作りに頭を痛めていました。

 アイトワ塾があった月曜日、前日同様に細かい雨に打たれながら庭仕事を切り上げました。妻の知人がくれたタマネギの苗を、用意してあった短い畝に植えて、トンネル栽培のフレームを被せていると雨になり、午後のお茶を運んできた妻に「風邪を引きますよ」と叱られたのです。

 そして塾が始まる前に、所要で後藤さんに早めに来てもらい、ひと仕事終えた時のことでした。なんとも嬉しいことがあったのです。ハッピーが(往年の声で)吠えだしたかと思うと、温度計道を登って来て居間の軒先を懐中電灯で照らす人がいたのです。網田さんでした。そこには仕上ったばかりの2枚目のスダレも吊るしていました。アイトワ塾の後で、網田さんにチラッとでも見てもらおうと思っていたのです。もちろん網田さんを居間に招き入れました。そこには私が手掛けながら手こずっていた宿題が置いてありましたが、その取り組み方を教えてくれました。塾では「文化」の本質に触れており、過去半世紀に生じたわが国の混乱も解説しています。

 火曜日は、大きな寒冷紗を2人で柑橘類に被せる日でしたが、妻に1人で受け持たせ、私はその間に、囲炉裏場で2つの型枠を作ったり、剪定屑をいつでも焚火ができるようにさばいたりしました。妻は寒冷紗被せの途中で甘夏みかんを収穫し、初見のカマキリの卵を発見しています。その後、妻は中庭の落ち葉掃除。私は薪を風呂焚き場に運び込んでいます。宙八夫妻と、飛び込みの舞鶴さんを迎えたのはこの間です。舞鶴さんは「農家にもらった」といって、もみ殻をお裾分けに来てくださった。この日の風呂焚きは私が、ワークルームの掃除を兼ねて受け持ちました。

 水曜日は雨。とんでもない失策(極小のカマキリの卵をなくしたこと)に気付かされ、ショゲかえった日です。小降りになった4時に村山夫妻を迎えており、持参いただいた私の「骨壺」を引き取ったり、調理釜の改造部分を見てもらったりしています。6時ごろからピザを焼き始め、ワインで味わいながら歓談。途中で居眠りをしてしまい、妻にあとで叱られています。

 木曜日も小雨が残っていましたが、竹の入り口に障子が入りました。建具屋さんが雨の合間を見て運び込み、はめてくださった。午後から水島さんを迎えており、素焼きの甕に雨水が注ぎ込むようにする作業などに当たってもらっています。この後で嬉しいことが生じています。

 久しぶりに晴れた金曜日は、終日庭で学生を迎え入れる準備と落ち葉かきに当たりました。学生とはセメント打ち、Ù字溝の設置、そして焚火でイモ焼きなどをしながら後藤さんを迎え、ルーチンワークを済ませ、その後で宙八夫妻を泊りがけで迎える予定の日でした。

 週末も雨で明け、判断を下す7時半に上がっておらず「残念」と新リーダーにケイタイです。
 


足元を石で飾った
ヘチマなどツル性野菜の棚を恒久化しましたが、そのいわば化粧仕上げです。この棚はエコライフガーデンを巡る周回路のなかほどにあり、「日陰のスポット」を作らせますが、その足元を石で飾ったわけです。いわば1つの自己満足です。でもこうしたことが日々の「生活の営みを芸術化」する、と考えています。次回、瞳さんに来てもらえる日が楽しみです。彼女はこうした試みを見逃さず、「きれい!」と叫びながら楽しむ名人です。


根元にくまなく厚めに敷きました
ブルーベリーの根元に敷くマルチング材、といって義妹がくれたものはヒノキの皮のクズでした。庭には10数本のブルーベリーがありますが、その根元にくまなく厚めに敷きました。土壌を酸性化しながらやがては分解し、肥料になるのでしょう。


棕櫚縄の所要量を教えてくれました

 

難なく仕上げました
「竹の入り口」で用いる敷物を黒竹で作る宿題です。棕櫚縄を無駄なく使い切る寸法が分からず、手こずっていたわけですが、その片方に網田さんは取り組み、手本を示し、棕櫚縄の所要量を教えてくれました。おかげで翌日、難なく仕上げることができました。


2つの型枠

砂をダンプで運び込んでもらった
この2つの型枠は、土曜日にみえる佛教大学の学生にコンクリートを流し込んでもらいたくて作りました。2つのU字溝と組み合わせてBBQで用いる道具になります。四角い方は、上に耐火煉瓦を組んでグリルを作ります。丸い方はテーブルになります。木曜日にセメントを買い求め、金曜日に砂をダンプで運び込んでもらい、準備を万端整えていました。


防寒用として敷き詰めました
舞鶴さんにもみ殻をお裾分けしてもらい、早速タマネギの畝に、防寒用として敷き詰めました。今年は、2軒からもらった計300本ほどの苗を、短い4本の畝に分けて植えました。舞鶴さんのこの飛び込みのおかげで、喫茶店は休日なのに、コーヒーをお相伴できました。先に見えた宙八夫妻は紅茶を所望されたので、コーヒーにありつけていなかったのです。

「骨壺」を持参いただき、箱書きもしてもらいました。この壺が気に入って骨壺に選んだのではありません。この人の手から生まれた焼き物であり、私の骨壺に!と、見立てることができましたから、決めたものです。それは、ハッピーが全盲になったことも影響しています。ハッピーには伸幸さんに、立派な墓穴を掘ってもらっています。

今年最後に迎える10人の佛教大学生と焼き芋がしたくて、夜9時から妻とブルーシートを懸けました。小雨が降り出したのです。リーダーが3回生の池澤さんから今度3回生になる澤崎晴幹さんに代わる最初の来訪ですから、翌朝の朝の7時半までに上がっていることを願いながらやすんでいます。