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アイトワ循環図

 目的は手段、文化も手段 13/12/29

 この1年。また多くのすばらしい人に巡り合えました。新宮先生には「直耕」の意義などを、川上アリエさんには地に着いた生き方を、元匠先生には独創性を、村山光生さんには質実な生き方を、瞳さんの父上には「クルミ植えるバカ」という言葉など、さまざまなことを学びました。

 阿部ファミリーと6年ぶりに交流し、つぶす喜び(消費)ではなく、ストックの生き方の凄さや創る喜びを尊ぶ意義を目の当たりにしており、「わが意を得たり」と叫びたくなっています。伸幸さんに次いで2人目の書生を受け入れたり、あるいは大勢の学生を迎え入れたり、次代に備える生き方を語り合ったり、その現実化に情熱を掻き立て直させられたりしたことが楽しかった。

 おかげで新果樹園の見通しが立ちましたし、囲炉裏場の改装や昨年の轍を踏まずに済ませた豪雨対策の工事もできました。水島さんと中尾さんのおかげで井戸問題にも見通しが立ちましたし、冨美男さんのおかげで樹木を制御する工夫でも進展がありました。網田さんのおかげで竹の入り口は思わぬ空間に化しただけでなく、職人の尊さを改めて実感できたこともありがたかった。

 さまざまな発見もありました。調理窯を作りましたが、土蜂の賢さも学べました。先週火曜日には野小屋の掃除をしていてマツカサに産み付けられた初見の小さな卵を見つけています。カナヘビではなく、興味津々です。また、柑橘類に寒冷紗を被せていた折に、褐色の小ぶりの初見のカマキリの卵を発見しました。異常にたくさんのタマムシを見たのもこの1年です。ドングリや柿が大豊作の年でもあり、サルやイノシシの被害を免れています。

 なんといっても、今年最大の収穫は、とても小さなカマキリを見かけ、手に取って眺めたことです。しかも、その卵と思われるきわめて小さなカマキリの卵(長径9mm、幅4mm)まで見つけており、まるでガリバーになったような心境にされました。これまでは、この庭に4種のカマキリが棲んでいると自慢してきましたが、今年は5種目を発見し、6種である可能性が濃厚だ、と思うに至っています。これは1つの手ごたえです。エコライフガーデン創りをライフワークと見定め、信条を形にしようとして割いた人生最多の時間が、今になって実感させた手ごたえでしょう。

 信条とは、世の中(では手段を目的にしがちに見える)とは逆に、「目的を手段として活かす」ために情熱を傾けてきたことです。あるいは、目的よりも手段を尊ぶ考え方を優先してきたことです。もちろんそれは、自己満足に過ぎないとか、まどろっこしい、あるいはケチに違いない、などと思われがちですが、私はそれが「日々の暮らしを芸術化する秘訣」と信じています。

 例えば今年も、最後の入浴剤はレモングラスの刈り取りでした。もちろん目的は入浴剤にする部分です。しかし、普通はゴミにするその残余を、例年のごとく綺麗に束ねて残しました。また、私流のスダレを編みたくて、その素材としてゴミになる前の古スダレを分解し、葦を取り出しました。その折に、その編み糸をきれいにほぐして束ね置いています。この 2つの努力が今後どのようにつながるのかは分かりませんが、最後は灰とか堆肥になって振出しにもどります。

 2枚目のスダレを編み始めたおかげで、昭和50年と平成8年のスダレの値段を知る所となり、アイトワ塾で「文化の本質」に触れるキッカケを得ています。その派生物かのごとくに、文明のほころびが手に取るように見え始めたようにも感じています。それがまた、安倍総理が急いでいることが「水俣事件の悲劇」×「大本営の欺瞞」の再燃と正当化の屁理屈と睨らませています。

 それはともかく、ケンが18年目にして死に、ハッピーは14年目にして全盲になり、私は骨壺を用意した年にもなっています。この壺に、妻は2人分入りそうよ、と言いますが、その気になれば100人分でも1000人分でも入り、その分農地を減らさずに済ませられることでしょう。

 

つぶす喜び(欲望の解放・消費)ではなく、創る喜び(ヒトにしか許されていない喜び)を優先する意義、あるいはストックの生き方(これもヒトにしか許されていない喜びだと思う)を家族で助け合って現実化する尊さなどを目の当たりにしており、「わが意を得たり」の心境にされ、私も自信を深めることができました。

竹の入り口はまるで数寄屋造りかのごとくに、目指し始め、さまざまな職人のお世話になってしまいました。きっとこれからも、異なる職人のお世話になるに違いありません。


表面は見る見るうちにボコボコにされました

土蜂の巣
窯を庭で採れた赤土で仕上げ、上塗りせずに済ませ、予期せぬ体験をしました。土蜂の土取り場にされてしまったのです。日を追うごとに集まってくるハチの数が増え、そのありように触れて土蜂の賢さに驚愕です。まるで石炭鉱山などにむらがる私たち自身を見たような心境です。ツルツルに仕上げた表面は見る見るうちにボコボコにされました。でも、環境破壊はないようです。むしろその分、庭に土蜂が増え、野菜の食害(原因のイモムシを捕食し)を防げたはず。このハチに刺された痛い目も、今年が初体験でした。

マツカサに産み付けられた初見の小さな卵は、カナヘビの卵にそっくりですが、数が2つだし、マツカサにくっ付いており、カナヘビではありません。他の動物に見つけられにくくして、かつのぞき見できるようにして置き直しました。

どうしてこれまでこの褐色の小ぶりの初見のカマキリ(に違いない)の卵に気付いてこなかったのだろうか、と不思議な気分にされています。間違いなく4種のカマキリを長年にわたって観察してきたのですから、4種の卵にも興味を抱くべきでした。反省です。


5種目のカマキリ

一般的な卵と並べて写真に収めました
反省の年に、5種目のカマキリと、その卵(!?!)まで発見です。その時の心境を形にしたくて、一般的なカマキリの卵を並べて写真に収めました。この成虫(?)にしばし見とれながら、ガリバーになったような心境にされたのです。


スダレを解体した糸と一緒に生かして

リースを作り始めています
昨年は、束を湯船に浮かし、香り風呂を楽しむことから妻は始めていました。この度は、スダレを解体した糸と一緒に生かして、リースを作り始めています。この後の流れは分かりませんが、行き着く先は分かっています。振出しに戻り、レモングラスなどの肥料になり、さまざまな手段をまた呼び覚ますことになります。これが本来の遊びではないでしょうか。