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 老人の木登りと父代わり 14/12/28

 22日月曜日・冬至の朝、妻に冷やかされました。久しぶりに朝寝坊をし、洗面後、裸のまま居間に踏み込んだ時のことです。「寒がりになったのに」パンツ1枚での洗面は「寒くないんですネ」と。窓越に見る光景はすっかり冬景色。隣のPCのある部屋に移ると7度C、この冬最低でした。

 前夜、久しぶりに真っ白のYシャツを着て、友人の通夜に出かけています。妻に「たまには着てあげないと」と勧められ、黒いオーバーまで着込みました。この友人とは1週間ほど前に「久しぶりに会おう」と電話で話し合っていました。ボツボツ返事(日程連絡)が、と思っていた矢先の訃報。日曜日の朝のことです。そして11時からルーチンワーク、1時から無性に力仕事がしたくなって畑仕事、5時から通夜。帰宅後、遅がけの夕食、そして風呂と就寝、と続きました。

 その夜半のことです。両足がこむら返りのごとき激しい痙攣に襲われたのです。妻によれば2時ごろで、1時間ほど足掻いたとか。そして寝坊です。朝食の後も、脚の筋肉は張っていましたが、9時から快晴に誘われ庭に出ています。前日手がけた「筒育てのゴボウ仕事」を仕上げていると、冨美男さんから電話。その後5時まで、昼食と冨美男さんと一緒にとったオヤツの時を除き、終始立ち働いています。そして長風呂の後、妻に脚のマッサージをしてもらい、就寝。

 この日、冨美男さんはサルスベリ、ザクロ、そしてカシワの木の剪定。私はこれらの剪定クズを囲炉裏場にセッセと運んだ他に、新しいやり方で筒育てのゴボウ仕事を仕上げ、その上で、アスパラガスの畝と常設の北と南の「鉄支柱の畝」と呼ぶことにした畝を仕立て直し、さらに、最後になりましたが、冨美男さん持参のキャベツの苗を8本植え付けています。

 そして23日火曜日を迎えました。今年最後の佛教大生を迎える日であり、網田さんも参加することになった日でした。ですから特別のプログラムを組みました。そうと決まった後で大事なアポイントを2つ入れています。共に兄代わりや父代わりができたらと願ってきた人たちですから、事情を言って朝の8時半と夕刻の5時に入れました。その上に、なんと2件も飛び入りが生じたのです。共に事情通の相手・アイトワ塾生でしたから助かりました。何とか、久しぶりに取り組んだ命がけの「老人の木登り」も実践できましたし、5時には焼き芋の賞味をほぼ終えられていました。

 水曜日からの2日間は「中休みの日」にしていました。なのに、この時期は猫の手も借りたくなるほど気がせく頃(主に私は庭掃除、妻は正月を迎える準備)ですから、私はブロアーを取り出し、落ち葉掃除を母屋回りから手を付けています。そして、囲炉裏場と野小屋回りの整理にも手を出しましたが、その時に1つのアイデアが湧きました。野小屋の機能拡充です。木曜日は、午前中に冨美男さんを誘ってHCに出かけています。上のアイデアを現実化する資材も買い込みました。午後は畑で、まずコンクリ花壇の化粧直し。次いで3株のアスパラガスの植え付け。最後に、野菜の収穫中の妻に手伝ってもらい、キャベツと1畝分のレタスをトンネル栽培に切り替えました。

 かくして、金曜日を迎えたのです。阿部ファミリーの父娘を迎え、泊まってもらう待望の日でした。また、翌土曜日から網田さんに泊まってもらって「竹の入り口」の化粧を仕上げてもらうことになっていました。この両来訪者が刺激になり、とりわけ土曜日は妻も終日庭仕事に加わり、随分落ち葉掃除がはかどりました。しかも、阿部さんは野小屋の機能拡充案(正月仕事を予定)を知って、その主たる大工仕事をしてもらえただけでなく、嬉しい土産話も聴かせてもらえたし、長女の結さんを(元日に迎えに来てもらうまで)残して、帰ってもらえたのです。

 少し込み入った予定でしたが、なんとか楽しく過ごせたのですが、未だに「あれは何だったのか」と不思議です。夜半の脚の痙攣のことで、妻が飲ませてくれた冷水で収まった激痛です。
 


庭中の空気が澄み切ったような景色に
朝焼け

ドアーのガラスが額縁に
真冬は庭中の空気が澄み切ったような景色になる。快晴の早朝7時頃はとりわけ。水曜日は6時に、朝焼けに誘われて思わず庭に出た。新鮮な空気を吸ったうえで、玄関まで戻ると、ドアーのガラスが額縁になっていた。


ゴボウを収穫

ゴボウを収穫

仕事に取り組んだ
死因は血瘤の破裂(覚悟の死)と知り、なぜか無性に力仕事がしたくなった。幸いなことに前日、妻が筒育てのゴボウを(巻きずしに生かしたくて)収穫していた。その仕立て直しに取り組み、次年度にそなえたよいことに気付かされた。それはこのゴボウの価値の高め方。そこで、述べ半日がかりとなった仕事に取り組んだ。次年度が楽しみ。なお、この作業の都合でアスパラガスの畝にも手をのばした。

アスパラガスの畝にも手をのばした

アスパラガスの畝 手入れ後


常設鉄支柱用の常設畝
筒育てのゴボウ仕事の新しいやり方は、土や腐葉土を篩い分けること。その粗い方を、アスパラガスの畝だけでなく、ゴーヤの棚と北と南に2つあるシカクマメの常設鉄支柱用の常設畝で活かすことにした。アスパラガスの畝は、有機肥料を漉き込んだ上に、もう一工夫凝らそうと考えている。


特別のプログラムを組んで迎えた

庭の野菜を生かす「食」
今年最後の佛教大生を迎える日は、女子5人男性6人の予定で、うち3人が翌春4回生になる人たちだった。一期一会になる人はともかく、この日が最後の来訪となる人があると見てとり、「老人の木登り」を含む特別のプログラムを組んで迎えた。その一環として、オヤツに替えてホースラディッシュなど庭の野菜を生かす「食」も枯れ竹を切り取れた。


化粧直し

化粧直し後

温度計道の中ほどまでの落ち葉掃除
金曜日の来客に備えて、まず、泊まってもらう母屋周りの落ち葉掃除。次いでHCで花の苗を仕込み、コンクリ花壇(このところの霜で、ニチニチソウなどが傷められていた)の化粧直し。そして、門扉から温度計道の中ほどまでの落ち葉掃除などをした。


屋根材を改めなければならなくなった

落ち葉掃除に当たるなど、大活躍

オヤツの時間も楽しかった
野小屋の機能拡充とは、彬さんが造った「室」の保護(雨の被害から守る)を思い立ち、それがキッカケで、大き目の屋根を架け、一輪車ごと雨に濡らしたくない灰などを収納できるようにすること。その主たる大工仕事(私のプランより大きくなり、買い求めてあった屋根材を改めなければならなくなった)をしてもらえたので、私の正月仕事は、防腐剤塗り、支柱のコンクリ打ち、屋根板の打ち付け、樋の取り付け、そして、風にあおられて屋根が飛ばないようにする補強の工事。この間、姉妹は妻とコケ庭の落ち葉掃除に当たるなど、大活躍。オヤツの時間も楽しかった


都城から梅製品と農作物

田浦から自著

滋賀から干支シリーズの酒杯
とてもうれしい元気の知らせにも多々恵まれた。この秋に迎える約束をしていた(のに来てもらえなかった)熊本の2人から「超多忙なので」と、都城から梅製品と農作物など、田浦から自著)。カステラは(この人から、とあてにして買い求めないことにした)高槻から手作り味噌とともに。また妻と共通の友人からも、茨城からバラ、そして滋賀から干支シリーズの酒杯。