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 薪割と楽観の母 16/01/17

 このところ毎朝のように日の出を楽しんでいます。冬の夜明けは美しい。この日は、日の出を待ちながら、ふと往年を振り返っています。かつては厳冬期に入ると、カラダを温めるために庭に出て、よく薪割をしたものです。「そうだ」、今週は一度「久しぶりに薪割をしよう」と思いました。同時に、この前の吾がエンジントラブルは、「冬のカラダ」を温めようとしたのが発端であった、ということも思い出しました。

 ですから「体力を蓄えるために、まずカラダの調整を」と考え、週の前半は「除草に専念すべし」とココロに言い聞かせました。その心構えに沿って昼食後、すぐに畑にへばりつきましたが、午後のオヤツは今年3度目の善哉で、嬉しい贈物の知らせを伴っていました。早速、夕食は味噌煮込みうどんと決まり、昨年末に初めて知った熊本名産と、かつて獣害防除の師匠にもらったジビエを合わせ、ココロとカラダが共に温まりました。

 翌朝、体重を計ってビックリ。”三箇日” 後は過食を自重したのに元の木阿弥でした。この日は、過食を反省し、先週末の2つの思い出を振り返りながら昼間は除草に集中。ほぼ一輪車一杯分の成果をあげました。朝と夕はPCの人で、私にとって「楽観の母」ともいうべきアイトワ誕生のいきさつの英文化に(日米2人の女性の世話になり)努めました。

 火曜日は、終日屋内で過ごしました。午前は個離庵を作った大工さんと打ち合わせ。午後は友人夫妻を迎え、深夜まで歓談。東トルコを巡った時(シリアとの国境近くまで踏み込んだ折り)の友人ですが、「よくぞ行っておいたもの」と振り返りました。

 いよいよ週の中日。「薪割の日」と目論んだ日、でした。朝は、東京で初氷とのニュース。妻は朝から宇治まで義妹の手術見舞。昼は、妻が用意した稲荷ずし。私は急遽、午後2時半から歯医者の予約、の1日でした。妻が出た後、まず自転車を点検して空気を入れ、薪割に着手。昼食後、「ぼつぼつ自転車で歯医者に」と思いながら薪を割っていると妻から電話。車で送ってもらえました。その道中で、妻は「私も薪割がしたいなア」。

 週の後半は、室内温度7度(例年並みの冷え込み)から始まりました。「ぼつぼつ寒肥まきを」と考えながら、ツワブキの花殻取りから始動。この日は、囲炉裏場をいったん掃除しました。まず前日割った薪を束ね、クズ薪を片づけ、その上で囲炉裏場に新たな玉切りを運び込み、エンジンソーで2分。切りクズはマルチングに活かし、掃き清めたわけです。この間に、水島さんが「まだリハビリ中ですが(大工の)再認定」をもらったといって訪れ、水屋の改造から手を付けてもらえました。昼は「キャベツがとても安かった」といって妻は買って来て、わが家のキャベツは収穫せずに、お好み焼き、でした。

 金曜日は、終日庭仕事に当てました。まず午前中は枯れ池の掃除。昼は菜の花弁当。午後は、枯れ池周辺で出た剪定クズの整理、そして畑の除草。オヤツの時間は水島さんと相談事に活かし、夕刻を迎えました。久しぶりの妻を薪割りに誘ったのです。

 問題は、床につき、「寒肥まきを忘れていた」と、悔しがっていた時のことです。結局、私は睡眠促進剤として読み物に手を出す羽目になり、妻はその巻き添えで、いつでも飛び出せる恰好に着替えました。しかし2人は無事に週末の朝を迎え、この日は終日、安静の日にしました。ありがたいことに、朝は予定通りに若者の、夕は同年配の、ともに夫婦共通の昔染みを迎え、楽しく過ごしています。結局、寒肥まきは前夜のうちに「来週に回す」と、妻にしんみり宣言してあったので、ことなく1週間を終えています。
 


1月12日

1月13日

1月14日
冬になると、いつも浪人時代の昼・夜を逆にして受験勉強した後半年をよく思い出す。冬の夜明けを眺め、その美しい光景にいつも内省を迫られ、それを希望に切り替える努力をしたものだ。この思い出は教員時代にもよく補講に活かしたものだ。当週も、変化にとんだ夜明けに恵まれた。

1月15日

1月16日


2月下旬ごろのような畑になった

2月下旬ごろのような畑になった

週の前半は除草に専念する
皮肉なことに、異常暖冬のこの冬は、一足早く2月下旬ごろの(終末期のような)畑になった。つまり、昨秋、冬野菜の手の付け方に出遅れたわが家の畑仕事ですら、暖冬で成長が異常に進み、豊作になった。だが、野草もムクムク育ち、週の前半は除草に専念することになったわけだが、まだ半分を残している。問題は、このままだと野菜は(今は異常安値だが)その反動がすぐに来そうだ、ということだ。


嬉しい贈物

乾燥あげ

サントウサイ
大垣の友人からの嬉しい贈物は、まずココロを、次いでその日のうちにカラダをあたたかくしてくれた。「ならば」と妻が、乾燥あげとシシ肉を合わせて活かしたおかげもある。もちろん、もう一方のわき役、それは自家製の「緑菜」とネギのおかげもある。わが家では、巻かないハクサイを 緑菜と呼んできた。この冬はとりわけ、ハクサイは巻かずじまいになりそうだ、と見込んだので、サントウサイも育て、これはもとより緑菜だ。当週は他に、菜の花弁当や、コウシンダイコンを活かした生ガキに恵まれた。

菜の花弁当

コウシンダイコンを活かした生ガキ

五島列島のツワブキが庭の随所で自生して久しい。今以上増やさないために、昨年はその花殻を結に取ってもらったように思う。次は、花柄ごと刈り取れる花期かその直後に、と考えながら種を落さないように頭部をハサミで切り取って回った


エンジンソーで2分した

妻は薪割
薪束ねの後、太い松や新たなカシの玉切りを持ち出し、妻にも割れるようにエンジンソーで2分した。翌夕刻、妻は薪割。その後で、残りを割り終えようと私は躍起になり、日没に救われるハメになった。


ひび割れから樹木の根が

多数忍び込んでおり、ビックリ
書庫は、枯れ池を埋めてその上に建てよう、と考えている。その落ち葉掃除からこの日は始めたが、落ち葉を取り除くと、この池の水を抜く樋(ひ)や、ひび割れから樹木の根が多数忍び込んでおり、ビックリ。この大失策は1986年に犯したのか、1982年の計画性欠如が原因か、と思案した。大失策とは、池を枯らしてしまったことだ。また、幾つかの大石を見て「これを素手で動かしたのか」と44歳(1992年)当時も偲んだ

残すのは「どのタイプがよいか」

44歳(1992年)当時も偲んだ


週末は、3人の若者を迎えた

薪を運び上げてもらったり

残りの玉切りを割ってもらったりした
週末は、3人の若者を迎えた。1人は佛教大学の卒業生で、今日に続く初代リーダー。急遽助っ人になったもらい、束にした薪を運び上げてもらったり残りの玉切りを割ってもらったりした。この日の私は「口だけ人間」。