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 アサキマダラとプライバシー 16/10/16

 トピックスが沢山できた一週間でした。アサキマダラが20頭余も飛来、庭の3か所で乱舞。海詩一家が久しぶりに訪れ、泊まって帰った。そしてアリヱさんの法要があった。この3つに加え、金太が一度も鳴かずに一夜を過ごしたり、久方ぶりに祇園界隈に繰り出したりしましたが、この2つも私にはトピックスで、当週は「五恵」に恵まれました。

 順番は、祇園界隈が日曜日のことで、最初。アサキマダラは12日の朝8時に庭に出て気付いており、海詩(ミーシャ)一家の来訪時まで留まるように、と願いました。金太の一件は、金曜日のことで、まるでアリヱさんの四十九日と同時進行であったかのような印象です。

 朝焼けが美しい季節になり、初日は終日雨が降らなかったのに、まったく庭仕事につけませんでした。ルーチンの後、後藤さんの帰路の車で送ってもらい、日本トルコ文化協会の30周年記念集会に参加。2次会で祇園界隈に誘われたのです。帰路、界隈を1人で歩み始めましたが、賑わっているのに虚しげに感じられ、なぜか急ぎ足で抜け出しました。

 翌朝も晴れており、満を持していたかのごとく庭に出ました。午前は、先週仕立て直したインゲンマメの跡に3度目のシュンギクの播種。午後は、第1次モロヘイヤや辛トウガラシなどの跡を仕立て直し、液肥まき。この合間に泉の復活に着手し、遠方からの来客にプライバシーの大切さを学んでいます。夜は小倉山自治会の合同委員会に出ました。

 火曜日は、前日液肥までまいておいた畝に、温室で育てた野菜の苗を植え付け、初めて、トンネル栽培用ビニールシートを被せ、成長の遅れを取り戻させようと試みています。その間に水島さんは門扉の塗装に当たり、新品のように仕上げました。

 水曜日は海詩一家を迎える日でしたが、3時間ばかり私は外出せざるを得なくなりました。しかし、「幸いに」と言ってよいのか、ドンさんが高速を乗り間違えて2時間余も延着。アサキマダラも留まっており、見てもらえました。海詩は10cmも背が伸びていましたが、庭を駆け巡り、ドンさんは早速薪割を始めました。翌朝、久しぶりに薪割の音が一帯に鳴り響き、やがて海詩が焚火を始め、私は緑の天蓋を仕上げました。

 楽しい1昼夜でした。ドンさんには(イノシシスロープにあった)懸案の玉切りをすべて割り、プライバシーの概念を深めてもらえ、みかさんにはアイトワの英分表示などを改めてもらえました。海詩には神戸の祖父母へ鳴門金時の焼き芋を持ち帰ってもらえました。

 アサキマダラを妻が見たのは金曜日でした。まだ多数が残っていたのです。朝夕はすっかり肌寒くなり、カエルはほとんど冬眠に入ったようです。私は寒がりになり、木曜日の夜からガスストーブを出してもらい、水炊きを始めています。その昔(心臓を傷める前)は、室温が16度になれば消し、寝室は夜も外気を取り込んでいたのがウソのようです。

 この日、ナスビの畝を耕し、妻が最後に苗を植えたキュウリを(実が採れそうにない、と)諦めさせました。夕刻に整体医に出掛けたついでにHCに立ち寄り、シュンギクの苗も(3度目にまいた種は発芽するかもしれませんが、水炊きの季節に入ったので待ちきれず)買い求めました。そして、快晴で明けた週末、早朝から大ハッスルです。

 朝飯前に塗装仕事。乾かしながら朝食を待つ。朝食後、シュンギクの苗を植え付け、トンネル栽培のビニールシートを開け、道標を改めました。その後、夕刻まで大ハッスル。その間の2度のお茶(アパレル時代の部下と水島さんと)の時間がよかった。
 


フジバカマが前の週から咲いていた

20頭余が飛来

 
先週、アサキマダラが飛来し(フジバカマが前の週から咲いていたので)安堵したが、それは1頭だった。なんと12日(当週水曜日)の朝に20頭余が飛来し、庭の3か所で咲くフジバカマで採蜜。午後4時前に到着した海詩一家に観てもらえた。翌日も乱舞していたし、金曜日に妻はゆっくり庭に出られたが、乱舞する姿を楽しんだ。週末も、10頭ばかりが乱舞していた。滞在期間と頭数は、共に初現象。

フジバカマで採蜜

乱舞する姿を楽しんだ


ドンさんの薪割

みかさんとテーブルを整え

楽しいひと時となった
海詩(ミーシャ)一家が久しぶりに訪れ、早速ドンさんの薪割が始まり、翌早朝は薪割の音で目覚めた。海詩は、朝食の準備を手伝い、みかさんとテーブルを整え楽しいひと時となった。その後、「神戸ではできない」といって焚き火を所望。存分に煙を吸いながらイモを焼きあげた。そのころには、薪の山が出来ていた、みかさんはアイトワの英文化表示に取り組み、ドンさんの助言や添削を得た。私は翌朝、その助言に従って道標を改めた。

焚き火を所望

薪の山が出来ていた


カワセミ除けの網をかけるなどして完了
2日がかりで泉の復活を(この泉を再現した年から数えて22年ぶりに)成し遂げた。前日、井戸枠水槽から1匹のキンギョを救い取って移住させ、当日の餌やりの時に2匹目のキンギョを移住させた。そして、第1次モロヘイヤなどの跡の畝に野菜の苗を植え、ビニールシートを被せる間に、太い竹を運び込み、カワセミ除けの網をかけるなどして完了


門扉の塗装

屋根を付ければ、薪置き場に活かせる
水島さんには当週、4度のわたって来てもらえ、門扉の塗装に当たったり(これも30年ぶりに新品のように復活)、喫茶店の排水施設コーナーの改装(屋根を付ければ、薪置き場に活かせる)に手を付けたりしてもらえた。


金太は10日ほど前からオムツ姿になった

妻は抱きかかえ
金太は10日ほど前からオムツ姿になったが、元気だ。問題は、唐突に悲鳴を上げるので飛んで行くと寝姿のまま。夢を見たのか。妻は抱きかかえ、しげしげと湯浴みに連れ出す。「明日はアリヱさんの49日ダ」と妻に語りかけながら、吾が終末のあり方に想いを馳せたが、それから20時間ほど金太は悲鳴をあげなかった。


7時間弱を薪の整理に費やし

 
週末は、7時間弱を薪の整理に費やし幸せを実感した。朝焼け同様に月夜もきれいな季節になり、その位置が40度ほど変わる間に、シホウチク・タケノコの旬だけでなく、切り返したナスビの季節も終わり、当週最後の仕事として半時間でその畝を耕したが、畑はほぼ冬景色になった。支柱が残るのは、自然生えのカウピー(手前、アフリカの野生種)と、秋インゲンなどに限られる。このところ朝夕は、各5分ほどをトンネル栽培の世話に割いている。

月夜もきれいな季節になり

 

シホウチク・タケノコの旬

自然生えのカウピー(手前、アフリカの野生種)

トンネル栽培の世話

 

「室長」と今も呼ぶ元部下を迎えた。グループ旅行で嵐山に来たが、1時間の自由時間があり、活かしたという。これに慣れ、再訪があれば「一恵」に数えたい。午後のお茶は水島さんとだったが、その生涯設計も話し合えた。私は、改装やメンテナンスの達人になれば、と勧めたい。時代は「人間の合理化から資源の合理化へ」、あるいは「消費の喜びから創造の喜びへ」と代わる。