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 新注連縄と色気に欠けた19歳 17/01/01

 よき目覚めでした。わが家では、結婚来寸分たがわぬ42年回目の「元旦」を迎えました。それはひとえに、とても良い年末を過ごせたオカゲ、と喜んでいます。賀状では、幾人かに「ややこしい時代になりましたが、反対側から見ると丸見えです」と記し、大つごもりまでにすべて投函を済ませました。問題は「反対側」とは何か、です。また、賀状が既に「生存照明」のごとき話題になっていた方々には「本賀状をもって」とのお詫びを入れました。これも加齢対策の一環です。年々暮れが近づく度に「便りがないのは良い便り」と思うし、思ってもらいたい心境にされていたのです。

 肝心の先週のこと。週初はルーチンの後、第2次のヤーコンを掘り出し、過日収納したサトイモに加えて「室」で越冬させる作業を済ませました。その後は日没まで、私は母屋の内庭(この一角に方丈ができる)の、妻は人形のコケ庭の、それぞれ落ち葉掃除に取り組み、精を出しました。

 翌日、私には幸運が生じ、妻は朝から大きなキャリーバックを引いて「終い天神」に出かけました。後藤さんが、前日のルーチンでデータを一部持ち帰り忘れた、といって再訪。ついでに大型HCに案内しよう、と言ってもらえたのです。急遽、来訪予定者に時間変更を願い、出掛けました。その道中で2つの幸いに恵まれ、上機嫌で帰宅しました。妻も「スグキ」の漬け物など軽いものだけ持ち帰り、古布は大量に購入したので別送してもらえた、と嬉しそうに帰宅。夜は、妻は工房へ。私は風呂を焚きながら、予報で「夜半から雨」と知り、ヘッドランプを付けて雨対策の大奮闘でした。

 その後、小雨混じりの火曜日は、乙佳さんと方丈の内装などの打ち合わせ。曇天で明け、小雨になった水曜日は、それが逆に次々と幸いを招いた玄果和尚一家との新注連縄づくり。夜はアイトワ塾の忘年会、引き続いて網田さんの久しぶりの宿泊。木曜日は、網田さんにスマホの修繕に連れて言ってもらった後、TV録画で世界の長寿者「センテナリアン」を鑑賞してもらった。そして年末恒例の夫婦で見える暮れの来訪者と歓談。そして、この年最後の町内の臨時合同会議。これらのトピックスの間に、玄果和尚一家のおかげで、あきらめていた3つの掃除ができましたが、これもトピックスです。

 玄果和尚に、初めて注連縄づくりで用いた風除室で、この「ガラス屋根の掃除を」と言ってもらえた。夫人は側面のガラス磨き。それに私は元気づけられ、ワークルームの屋根掃除に上がると、玄果和尚は風除室の屋根づたいに居宅の屋根に移り、落ち葉掃除中。さらに元気付けられた私は煙突掃除にまで手を出せた、など。この他に、カシの生け垣の剪定を木曜日に済ませましたが、その間の中尾さん(喫茶の厨房照明の追加)と水島さん(母屋の雨漏り補修)はとてもありがたかった。

 金曜日は、妻はおせち料理づくりを始め、私は庭仕事。恒常化した異常気象にそなえた異例の播種。そして初めてエンジンブロアーを駆使し、パーキング場一帯の歳時記の落ち葉掃除。これが面白くなって我を忘れ、妻に叱られるハメに。かく大晦日の週末を迎えました。体重が1.5kgほど減っていたので喜びましたが、案の定の筋肉痛。力仕事は「パス」し、上げ辛い腕であれ「これなら」と、干し上がり、溜まっていた薬草やハーブ刻み、妻と人形の出窓の模様替え、あるいはお鏡みづくりなどに当たった。そのあとは恒例の、常寂光寺での除夜の鐘。その後「ゴーン」だけでなく「ガオーン」「グワ−ン」と響く鐘の音に耳を傾けながら長湯。年越しそば。寝酒。2時に爆睡。

 


「新しい1年」の安寧を

仏壇で「わが夫婦」の幸を
父から継いだ神棚で「新しい1年」の安寧を、母が新調を望んだ仏壇で「わが夫婦」の幸をそれぞれ願った後、結婚来42年回目の「元旦」のお祝い。今年は(2人だけの三が日なので)量を控えたお節料理(造りだが、妻は1日半を要した)。好物のゴボウが自家製でないのがいかにも残念。

結婚来42年回目の「元旦」のお祝い

量を控えたお節料理


「室」

越冬させる作業を終えた

遠方のHCでこのたび購入した容器で
過日、サトイモだけを「室」で越冬に入らせたが、このたびヤーコンとハヤトウリを加えて越冬させる作業を終えた。当面用のコイモ、ヤーコン、そしてハヤトウリなどは、カボチャやトウガンなどと共に屋内で(遠方のHCでこのたび購入した容器で)過ごさせる。タマネギやニンニクなどは風除室で越年させる。妻は、こうした備蓄に豊かさを感じるようだ。


3つのオフ

袈裟(けさ)御前

文覚(もんがく)
2つの幸いの1つは往路で。「赤池」という地名がキッカケで「道ならぬ恋」を知った。復路では、書籍の「3つのオフ」に案内された。帰宅後、赤池の赤は、袈裟(けさ)御前の血の色であり、御前が先に「人間の性」に目覚めたことを。だから己の首を北面の武士・遠藤盛藤にかかせ、それが盛藤の覚醒をさそい、出家して文覚(もんがく)にさせたことを、知った。その時、盛藤は19歳。そうと知った私は、わが色気に欠けた19歳を振り返った。


無煙炭化器と焚き火用剪定クズの雨覆い

トンネル栽培が増えた畑
ヘッドランプを付けての雨対策とは、囲炉裏場で無煙炭化器と焚き火用剪定クズの雨覆いトンネル栽培が増えた畑(雨天は0度以下にはならない)では(水やりになる)ビニールのカバー外し。そして風呂焚き場へ薪などの燃料の追加(の運び込み)など。結構な大奮闘。


「新注連縄」創り

4歳の慧桃君が私を真似て縄をない始め

忘年会
裏山での近年の緑化対策(アカマツの山の復元)のせいで、ウラジロが茂っていた山肌が破壊された。やむなく半世紀来の歳時記を諦めていたが、幸いにも玄果和尚一家から「お宅の注連縄は?」と問われ、「新注連縄」創りのキッカケに。ならばと「アイトワ塾の日」を選んだが、雨が降り出し、風除室の新たな活かし方に気付かされた。次いで4歳の慧桃君が私を真似て縄をない始め、10歳の実生君が「今度は、黄色い甲虫」を見つけた。もちろん、忘年会のデザートに新餅が入った善哉を振る舞えた。

「今度は、黄色い甲虫」を見つけた

 


乱れた砂利は後でレーキでならした

野バラの剪定
パーキングの「暮れの落ち葉掃除」は、砂利に混じった落ち葉もブロアーで吹き飛し、乱れた砂利は後でレーキでならした。小さい花の方の野バラ(トンネルアーチ)の剪定は延べ4時間を要す。大晦日は、薬草やハーブ刻み妻と人形の出窓の模様替え「新注連縄」飾り。あるいはお鏡みづくりに取組んだ。いずれも暮れの歳時記のごとき作業。大バラの方のアーチは新年に持ち越し。

薬草やハーブ刻み

妻と人形の出窓の模様替え

「新注連縄」飾り

 


良き元旦だった

メジロのごちそうにされている

皮だけ残してチョウチンのようにする
良き元旦だった。しかし、酷いことになった干し柿は、今や、主にメジロのごちそうにされている。メジロは干し柿まで、熟し柿(皮だけ残してチョウチンのようにすると、妻に「可愛いい」と叫ばせる。だが、そのために、あれだけの努力はできない。