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生物学と芸術と台湾 18/06/227
老骨に鞭打って台湾に出かけ、「まだ大丈夫」とホット胸をなでおろした1週間から始まり、6月24日まで5週間分の月記です。ただし、最後の7日間(6/18〜24)はベトナム出張でしたが、その報告は次回に廻し、その前日(6/17)の佛教大女子学生4人を迎え、楽しく過ごした1日までを収録します。
実は台湾出張の前日にアメリカからの一行を迎える予定があり、初日(5/21)は3つの課題(一行の受け入れ準備、サルの電柵設置、台湾出張を見込んだ畑仕事)に取り組み、2つの新課題(イノシシの侵入と不都合なアシナガバチの営巣)に気付かされています。翌火曜は後藤さんを迎え、前回分月記の原稿を引き渡し、夕刻はある外出。夫婦付きあいの足立夫妻発案の、健康を祝すフランス料理の夕餉。水曜は生物学者も同道のアメリカ一行と過ごした後、あるテンテコマイ。PCのトラブルで、原因は物理的でした。かくして翌早朝から3泊4日の台湾へ。帰宅は27日の夕飯前。初成りキュウリを食しました。
台湾旅行は「古川勝三と行く台湾の歴史探訪の旅」で、日本人の美点や芸術の役割など学ぶことしきりの日々でした。この旅の途中で1週間に及ぶベトナム旅行を画策し、ある心配をし始めています。帰宅すると、庭は緑でうっそうとしており、ハッピーに吠えらました。夕食時にカイツブリ母子の写真、臂さんの一著、あるいはハッピーの散歩の仕方を変えた話題に、それぞれニッコリ。
ある心配は、1週間も家を空け「その間に豪雨が降ればどうしよう」。梅雨を控えて心配する日々の始まりです。帰宅初日は、台湾出張ノートを整理し、メール対応など交信は翌朝に回し、ウォ−ミングアップ作業(シカとイノシシの被害点検と畝の仕立て直しなど)でハッスル。新聞の整理は日没後。次の2日間は予報通りの雨。共に午前は心臓の24時間点検。午後は書斎で体力回復。かくして6月。1日は、曇天の午前はオツムで、快晴の午後はカラダで、一喜一憂を多々感受。2日は午前と午後に期待の来訪者。そして快晴の日曜日は恒例化した月に一度の朝のコ−ヒーではじまり、その後小鳥と仲良くしながら終日畑仕事に携わり、何畝もあるネギの手入れとスナップエンドウのツルの始末をしました。
翌週は、後藤さんのおかげもあり、トピックスが8つになりました。月曜の津乃吉の3人と、火曜の大垣から槌谷さんと奥田さんの来訪。翌6日・梅雨入りの朝は、後藤さんから嬉しい電話。遠方のHCまで連れて行ってもらえたのです。おかげでエンジン揚水機の導入と、防鳥ネットの張り直しがかできました。その後、AGUから嬉しい知らせ。水島さんはシカとイノシシ対策のフェンス工事に着手。さらに、父の日のプレゼントに恵まれ、終末に1週間の予定で四国の小夜子さんを迎えたのです。この間に、畑はほぼ夏仕様に変えることが出来ましたし、ベトナム旅行の手はずを整えました。
次ぎの1週も、雨間を縫って畑仕事に励んだだけでなく、ビッグな日々になりました。ドジなモリアオガエルの産卵。志賀さんのおかげで日本ミツバチが住まう庭になり、一緒に奇妙なカエルを目撃。シカとイノシシ対策で通う水島さんの助けも得て、井戸枠水槽のミニ改修工事に着手。台湾で知りあえた高安先生の来訪と歓談。造庭界の第一人者・井上さんが中国人の教え子を伴って来訪。2人の外国人ガイド資格取得者を内山さんと一緒に一帯を案内。鈴江さんはじめ3方から嬉しい知らせ。浅井さんと次著の構成を相談。妻が小夜子さんと餅をついたおかげ(?)で(心臓の定期検診だけでなく)歯医者にも駈けつけ、加齢を自覚。かくして佛教大生を迎え(6/24)、翌早朝からベトナムへ。
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電柵を完備 |
アシナガバチの営巣 |
カラス対策の防鳥ネット |
大きなサルが、「まさか」と油断していた温室の屋根(にたれた枝垂れサクラの木⇔温室の屋根⇔ノウゼンカズラのアーチ)伝いに侵入。その知恵に感心。すぐさま中尾さんに電柵を完備してもらい、私はノウゼンカズラのアーチを移動。妻は温室の出入り口(日々、幾度も通る)でアシナガバチの営巣を見つけ、不都合と見た。だが、私はむしろ好都合と見た。こちらが猜疑心や敵愾心を抱かない限り、ハチは命がけの攻撃をしない。さらに、2人でイチジクにはカラス対策の防鳥ネットを被せた上で、翌日のアメリカ一行を雨中での庭案内に備え、傘のじゃまになる枝を払って回った。 |
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11名の学生ともう1人の教官 |
質疑応答も楽しかった |
リズさん引率のアメリカからの一行(3回目)は、『アイトワ12節』を事前学習した11名の学生ともう1人の教官。この教官は元東大で生物学を教えていたが、国家として生物学に力を入れるアメリカでの教育活動に身を移した。生物学履修が必須と見る私は、若者に汎用型AI時代に備えた目覚めのチャンスを提供したく思った。学生は雨中の庭めぐりになったが熱心だったし、昼食後の質疑応答も楽しかった。かくして翌朝、4:15に、迎えの乗り合いタクシーの人となり、台湾へ。 |
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台湾旅行一行 |
「挿し絵を担当した」との一著 |
カイツブリ母子 |
台湾旅行一行は失敗学会の皆さんが主で、古川先生のおかげで台湾で大歓待を受けた。この4日の留守の間に、臂さん(足立夫妻と共通の友人)から「挿し絵を担当した」との一著や、三崎美夫さんから「近隣でとらえた」とのカイツブリ母子の写真が届いており、キュウリが収穫期に入っていた。さらに、妻はハッピーの散歩に一工夫を凝らしていた。 |
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イモリの屋内棲み処を新装 |
フウセンカズラの鉢仕立て |
川魚を飼育する新たな水槽 |
ウォ−ミングアップ作業は、まずイモリの屋内棲み処を新装。トマトやキュウリの整枝。フウセンカズラの鉢仕立て。そして川魚を飼育する新たな水槽を準備しながら、コジュケイの「チョットコイ、チョットコイ」との賑やかな囀りを楽しんだり、ホトトギスの鳴き声が、亡き父と同様に「テッペンハゲタカ」と私にも聞こえるようになったことに苦笑したりしたこと。 |
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菜種を小鳥の取り分 |
自家採取分 |
一憂は、イノシシの随所での被害。シカの厚かましさ(アザミ、イタドリ、フキ、ミョウガ、ハラン、あるいはギボウシなどが庭から消え去りそう)に閉口。「美しい国、日本を取り戻す」と繰り返した叫びの実体がさらに露わになり、検察も同じ穴のムジナ?と疑わざるを得なく感じたこと。 一喜は、イノシシの侵入口を妻が見つけて塞いだ。例年通りに菜種を小鳥の取り分と自家採取分に分けた。リズさんからアメリカの学生が描いた水彩画が届いた。KANO、第九、あるいは複葉機の報道。さらに、2人の期待の来訪者(共にUターン)に恵まれたこと。そして後日(6/14)、蘇我入鹿のルーツ新説ニュースに一喜し、イノシシは新たに別の侵入口を作ったようでタケノコをことごとく襲撃されて一憂。 |
水彩画 |
タケノコをことごとく襲撃 |
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槌谷さんと奥田さん |
津乃吉の3人は事業継承が話題。翌日の槌谷さんと奥田さんは大垣から「火曜日はアイトワの定休日でしょう」といって、「一度は食べたかった」との弁当を4人分持参で来訪。一緒に立ち上げた大垣市環境市民会議の役員を引いた挨拶だった。実は前の週に、大垣時代に親しくしてもらっていた西田さんが懐かしい面々と「京都旅行の合間を縫って」と立ち寄ってくださっていたので喜びは倍加。教え子AGUからの知らせは、プロフィールの説明不足を補充する資料だったが、そこに、恩師の個展の紹介や、スロバキアで縁ができた人が関わるお気に入りの一著も添えられていた。この一著は短大時代を懐かしく振り返らせ、しばし嬉しい思いに浸った。導入したエンジン揚水機。防鳥ネットの張り直しは義妹にも手伝ってもらった。父の日のプレゼントは、芳香剤(窓が少なく老臭がこもりがちの書斎に設置)や超軽量コンパクトなペアーの雨傘などに、幼き頃の好物・1箱のビスコが混じっていた。また、私が生まれた年の新聞を送ってく下さる人にも恵まれた。 |
「一度は食べたかった」との弁当 |
西田さんが懐かしい面々 |
人が関わるお気に入りの一著 |
導入したエンジン揚水機 |
父の日のプレゼントは、芳香剤 |
私が生まれた年の新聞 |
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モリアオガエル |
奇妙なカエル |
モリアオガエルは2組目と3組目も産卵したが、その狙いどころが悪く、助産を要した。日本ミツバチの師匠が息子さん同伴で来訪、庭に1群が棲みつき「賑わった」と喜び、その直後に奇妙なカエルと遭遇。高安先生は「医院を息子に任せたので、やっと海外旅行も」とのご参加がったが、その「にこやかにして穏やかな語り口と優しさの源泉は?」との関心に駆られたが、このたびの来訪と歓談で「やはり」との得心になった。造庭の業界ではこの人こそ第一人者・井上さんが中国人の教え子を伴って来訪。加えて、1週間の予定で妻が迎えた人形作りの生徒小夜子さんと、私が所望した「餅を」を、一緒についてもらった。 |
庭に1群が棲みつき「賑わった」 |
「餅を」を、一緒についてもらった |
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