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冬の備え 05/11/13
雨の日曜でしたから、資料整理の他は考え事をして過しました。日本の孤立化を危惧する意見がありました。イギリスは移民法を改正し、同じところで5年間住み続けるだけでは移民と認めず、文化に関するテストを義務付けました。他に、フランスの夜間外出禁止令、鳥インフルエンザの世界的蔓延、茎を味わうブロッコリーの存在などを知り、さもありなん、と考えたわけです。
昔は、異郷の地で5年も住み続けようお思えば、自然の摂理に根ざした文化や風土に馴染むことが必定でした。今日では生きるに必要なものは何でもお金で買えますから「隣は何をする人ぞ」で通せます。人格まで金次第です。わが国では戒名まで買えますしホテルではスィートルームに泊まると「様」呼びです。そのお金は土地柄や文化などに縛られず、水や空気など自然を平気で汚したり人間を機械のような扱ったりする人の方が儲けがちでした。鳥インフルエンザも、生きものを機械のように扱うところに問題があるのではありませんか。野生動物は自然淘汰を繰り返して強くなり、人間に手篭めにされた鶏はますます虚弱化する。そのギャップを広げるとますます問題を深刻にするでしょう。要は、近代文明は矛盾や問題をはらみながら成長し、ここに来てほころびを露にし始めた、と考えた方がよいのではありませんか。
だからイギリスは伝統文化を見直し始めたのではないか。フランスはほころびに火をつけてしまい、力ずくで押さえ込みにかかったのではないか。でもそれは問題を余計に複雑にしかねないでしょう。結局は、強者が自然の摂理に根ざした伝統文化を率先して守り、弱者が進んで従いたくなるような社会にしないと解消しない問題だと思います。要は、文明の冬に早く気付き、文化を見直し、速やかに次の春を迎え、活気を取り戻すことが肝要だと思います。手前味噌になりますが、拙著『次の生き方』では「文明の怖さと文化の大切さ」という章を設け、「文明と文化の違い」や「文明と文化の衝突」という小見出しをあげて考えましたが、その見方に従えば分かりきったことが次々と生じているように思われます。テロもその一環でしょう。
月曜日から快晴が続きましたからスモモの木の剪定に手をつけました。この落葉樹は、ある役目を期待して40数年前に植えており、10年ほど前からその役目を本格的に果たさせています。建て増した広縁のガラス屋根の上に枝を張らせ、夏は木陰を作り、冬は葉を落として陽を通し、環境に優しい冷暖房効果を発揮させているのです。問題は、その枝の剪定や落ち葉の掃除です。人生の冬、つまり老齢化に備え、今回は剪定や掃除の上手な手順を工夫したのです。かつてないほど大胆な剪定をするだけでなく、ガラス屋根の落ち葉掃除の手順も検討しました。あと10年ぐらいは自分でし続ける手順を工夫しておけば、いざと言うときは誰かに気楽に頼めそうです。要は、季節の冬を迎えるのを機に、人生の冬に備えたのです。それは、文明の冬を予感して備えてきたさまざまな仕掛けや装置の活性化と見ています。コンクリ花壇も大喜びです。
週の半ばから朝夕は急に冷え込むようになりました。紅葉が期待できそうです。金曜日の夕刻から雨になりましたが、その直前にエゴマの収穫を終えています。今週は中庭の松の処分も決めました。外出は2回、来客は7度でした。外出の1回は国営木曾三川公園の自然発見館を訪ねています。来客のなかには、仲間連れで訪ねてもらった大垣の友と旧交を温めたり、若手経営者の勉強会から講師依頼を受けたり、植物に詳しい旧友に「マッタケが採れた」といって立ち寄ってもらったりしています。若手経営者には、希望の話ならしたい、と伝えました。希望の前には必ず障害が横たわっているはずですが、それを乗り越える話しなら応じたい。つまり、工業文明の冬を予感している人と、次代の春を一足早く迎える話ならいくらでもしたい、と思います。
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一回り小さく剪定した樹齢40数年のスモモです。今回切り取った太い枝の山を見てください。いかに太い枝を切り取り、切り詰めたかをわかっていただけると思います。背丈も1mほど縮まりました。根元で山椒の木が自然生えしていますが、スモモと相性がよいのでしょうか、随分大きくなりました。
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切り取ったスモモの枝を半日かけて手斧でさばきました。右の方に積んであるのは薪風呂の焚き木にします。中央の木の幹はいずれ鋸を使って薪にします。左手のくずは、焚き火に燃して焼き芋を楽しんだうえで、風呂の焚口からでる灰と一緒に、木や野菜を育てるカリ肥料として生かします。
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広縁のガラス屋根にのぼり、少し落ち葉の掃除を始めたばかりの状態です。脚立を屋根に持ち上げている理由は、ガラスを直接踏まないように生かすためです。まず屋根の上で徒長しているスモモの枝を剪定し、次に落ち葉を掻き落とし、ガラスを磨きます。今回は、この掃除が目的ではなく、安全に掃除を仕上げる手順の工夫を目的にして実施したわけです。
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ガラス磨きが終わった広縁です。好天の水曜日の朝、陽がよく射し、格段に明るくなったことに気付いた妻は、早速軒先に洗濯物を吊るしました。冬の間はここが干し場になりそうです。
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国営木曾三川公園の一角です。冬の時代を迎えるときは、次の春を迎えやすくしておく配慮が必要でしょう。それは、時間の経過が成長を勝手に促すように、つまり自然が資産価値をたかめるように設計してあるか否かが決め手です。逆に、維持管理経費がかさむ設計は不適格です。要は、「よくぞお金のある間に手を打っておいてくれた」と末裔に感謝してもらえるようにしておくことが大切でしょう。
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土曜日のコンクリ花壇です。30年ほど前の新婚時に二人で作ったものです。型枠を作り、セメントを練って流し込みました。居場所を二度も替えていますが、もう二人にはこの重い花壇を動かす力はありません。上のスモモの落葉と大胆な剪定によって日当たりがよくなり、アリッサムが急に白い花をたくさん咲かせるようになりました。数日の好天で活性したのを見て、植物が生きものであることを改めて痛感させられました。
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この赤松を処分することに決めました。そのわけはいずれお伝えします。そこが自活力を身につけるためのエコライフガーデンと、いわゆる庭園との違いではないでしょうか。仮に、この松を植木屋さんに植え込んでもらおうと思えば、数十万円はくだらないでしょう。それを薪にして風呂やストーブにくべたり、焚き火にくべてイモを焼いたりするわけです。
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