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アイトワ循環図

同好の士 06/01/15

 日曜日は新しい農業に関心のある仲間と静岡県掛川市の北東部を目指して出かけ、「学園花の村」を訪ねました。農村に詳しい大学教員をはじめ農業経営や村おこしなどに関わる公務員と連休を生かしたのです。この村は、二宮尊徳(金次郎)の遺徳をしのぶ人たちが、静岡県の工業団地「エコポリス」の隣接地を平成9年に借り入れ、農を基盤とした新しい生き方を切り開きつつあるもので、近く予見される世界的な食糧問題も視野に入れた荒廃農地を生かす運動です。夜はクラインガルテン型の宿泊施設で、名誉会長や現会長など主要な方々と鍋を囲みました。現会長のネギや第1号入植者の鶏卵など、単なる無農薬有機栽培を超えた農産品を生かした鍋は、心がこもっていました。ホテルに帰ってからも、同道した仲間と深夜まで談論風発でした。

 翌日は茶園や水田の見学と「掛川スローライフの会」に案内いただき主要メンバーとの歓談でした。帰途は豊田市にある町おこしで有名な「足助(あすけ)」に立ち寄り、公社の幹部に沿革をうかがったり足助屋敷を見学したりしてきました。往路は米原で粉雪が舞っていましたが帰路は晴れあがり、足助に立ち寄ることができた次第です。少し寂しいこともありましたが、心残りは、掛川だけでなく足助にも少し車を駆れば温泉があったのに立ち寄る時間がなかったことです。

 火曜日は朝から温室の整理に手を付けました。農機具を入れるロッカーの塗装を本当のプロ職人を目指す青年に頼み、その間に1人で暖房機を撤去したり園芸用品用ロッカーの保護策をこうじたりしたのですが、大失策を犯しました。終生このロッカーで間に合わせるために、敷石を1枚余分に入れて錆びが来にくくしたのですが、ロッカーを1人で浮かせて敷石を足す無理がたたり、腰を痛め、寝込んだのです。風邪が完治する前の妻をてんてこ舞いさせることなりました。

 翌日は夕刻まで安静にし、夜はアイトワ塾でしたから座椅子を持ち出し、牢名主のごとく一段高い目線で臨んでいます。結局、塾の数時間を除き、二昼夜安静にしたのに痛みが治まらず、医者と商社時代の友に電話を入れています。医者には、金曜日の午前中に大学での講義があることを伝え、痛み止めの処置を頼みました。友には、その夕刻に大阪で予定されていた商社仲間との恒例の新年会をキャンセルすることを伝え、ついでに長話をしています。

 この間に、私にとっては大切な4つの連絡や交信がありました。1つは私たち夫婦がそろってエッセイストクラブの入会を認められたことです。『次の生き方』と妻の『人形にいのちを込めて』に加え、共著の『庭宇宙』を沿えて申請したのですが、2人の推薦者のおかげです。だから、嬉しさだけでなく「頑張らなくっちゃ」との気持ちでいっぱいです。2つ目は朝日カルチャーセンターでの講座の開設が可能になったとの知らせでした。多くの人に敬遠されかねない異質の講座開設を画策しながら、応募してもらえた人があったわけですから、これも「頑張らなくっちゃ」です。有名大学の客員教授を勤めていたが友から、契約更新に応じないとの知らせもありました。学校当局に愛想が尽きた、のではないでしょうか。私には思い当たるものがあります。もう1つは、かつて有名企業の社長秘書をしていた友からのもので、リストラの対象になった多くの誠実で優秀な人のその後についてでした。過日、新聞で見た森永卓郎さんの意見も思い出しながら、日本は先の見えていない人のために、よろしくない方向に転げ落とされつつある、と感じました。

 結局、土曜日の夕刻まで、少し起き出してはすぐに床にもどるようなことを繰り返し、読書は進みましたが、庭仕事はさっぱりでした。これから三人会に出かけます。商社時代からの縁で付き合ってきた友と、広沢の池を展望する会場で年に2度ばかり歓談する会です。寝転んで話の出来る仲ですから、迎えに来てもらって、駆けつけることにしたのです。

入植第1号の人は、鶏の放し飼いもしています。近頃の鶏は有効寿命(?)が短い、と嘆いていました。卵巣にもって生まれる卵を2年ほどで産みきるようです。まだ肉が軟らかい間にカシワできる改良でしょうか。この鶏を、産卵率や個体識別が難しい放し飼いをしていました。案の定、廃鶏と明らかに分かったときは手遅れのようで、ドッグフードなどを作る会社に1羽25円を出して引き取ってもらっていました。

ミニコミ紙を出している人は、江戸時代の農民が食事を5回も取る例があったと教えていました。早朝のおちゃのこ、10時ごろのごぜん、昼のおようじゃ、夕のおいはん、そして夜なべしたときのおやしょこです。私は、朝食、午前のおやつ、昼食、午後のおやつ、夕食、そして寝酒です。
農業に取り組んでいるご夫婦。エコポリスの建物が後ろに見える。ご夫人が先に荒廃農地に手をつけ、今は定年退職したご主人が合流。年間30種類の野菜を作り、出荷もしており、月20万円の売り上げが目標とか。

木立に囲まれた立地を生かした有機茶園です。肥料はヌカ、味の素の絞りかす(コーンかす)、整枝のために刈り取った茶の枝葉でした。一番茶だけ製品化し、二番以降を用いていませんでした。実生ではなく、選りすぐりの茶の挿し木を用いているためでしょう。
足助屋敷で見た木地職人の仕事場です、駆け足の見学になりましたが、もう一度ゆっくり訪ねたいと思いました。鍛冶、紙漉き、炭焼き、機織り、桶作り、和傘作りなどさまざまな生産活動では、別注も受けて目の前で対応もする仕事場と仕事振りを学べます。

「たんころりん」と呼ぶ竹の照明器具です。足助では、これを作った竹細工職人の発案で、宿場町の夕涼みを楽しくする花灯篭が繰り広げられてきたそうです。

 

義兄のもらった中古の更衣ロッカーを塗り替えました。鍬やスコップなどの農機具入れに用いていますが、錆だけでなく腐食も始まりましたので、手を入れたわけです。「買い換えた方が安くつくのに」といわれそうですが、廃棄処分の弊害をきちんと積算しない計算も気になりますが、思い出の品がなくなるのも残念です。すでに暖房機は取り出したあとです。