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生活の芸術化 06/01/30

 先週末の柳宗悦展は、行ってよかったと思いました。まず、会場の京都文化博物館では「ドキュメンタリー兼子」というビデオの放映もしており、宗悦夫人の兼子が類まれなる声楽家であったことを知りえたからです。宗悦は、経済的支柱であった兼子あっての宗悦だったのです。また「民芸」という言葉は、1925年の暮に宗悦は陶芸家の浜田庄司と河合寛次郎の3人で和歌山を旅していますが、その汽車の中で「民衆的工芸」から考え出したようだ、と知りました。

 声楽家の兼子は、洋楽は叙情と母音を、和楽は叙景と子音を大切にして歌っていたことや、調理にも優れた家庭婦人だったことも知りました。息子によれば、兼子は盛り付ける器にも心を配っており、どこかで見たことがある器だと気にしていたら、後日それは宗悦が民芸館に展示していたものを拝借していたことを知った、と証言していました。きっと兼子は、日常生活を芸術化するために夫の趣味を生かし、それが同時に夫を育てることを誇りにしていたのでしょう。

 宗悦のコレクションには素晴らしい暖簾や李朝の茶碗もありました。暖簾の前では、「のれんわけ」の意味を実感し、朝鮮の焼き物の前では千利休だけでなく、ある夫婦も思い出しました。まず暖簾の前では、同道した友の1人が一葉の写真を取り出したのです。そこには同じ暖簾が写っていました。それは友のご祖父が本家からのれんわけをしてもらった暖簾でした。

 なぜ利休だけでなくある夫婦まで思い出したのか。利休は、朝鮮の飯茶碗を高価な茶器に見たてたりした人物ですが、その夫婦は、いわばゴミから日用品を芸術的に生み出しているからです。夫が、これまでは捨てられていたネクタイ地のミミを生かして手織物を生み出せば、妻がその出来栄えや大きさを見て世の中に2つと同じものがない生活用品に仕立て上げるのです。19世紀のイギリスに工芸運動を起こしたウイリアム・モリスという人がいますが、この夫婦が創出した帽子やカバンや名刺入れなど見たら、これぞ芸術を超える新芸術だと喜んだことでしょう。

 ところで、私の腰痛の方は日に日に楽になりました。おかげで来客が重なることもあったのですが、それほど失礼なことにはならなかったと思います。たとえば、私の植物の先生から「これから百合の球根を植えに行く」といつものように急な電話がありましたが、自転車でたどり着いてもらう頃は友の一人との約束が入っていたのです。だが、2人に事情を話し、3人で会話に花を咲かせることさえできました。それは、私の足がほぼ思ったように動いたおかげです。植物の先生に百合の球根を植えてもらう場所の指示や、友に貸してあげる本を探すためになど、幾度も席をあけましたが、足が思うように動きましたからそれほど待たせずに済んだのです。

 一難去ってまた一難、鼻かぜを引きました。だから、臥せって新聞を丁寧に読んだりしたのですが、改めて政治を嘆いたり大笑いしたりしています。昨年の暮に(当週記vol.232「何を考えていたのか」で)六本木ヒルズ族を時代遅れと呼び、その後(vol.235で)「小泉さんにうんざり」していますが、多くの言論人や知識人がホリエモンを賞賛した小泉さんとライブドアーを非難しており、改めて政治を嘆いた次第です。また、しばらく髪を洗いませんでしたから頭が痒くなり、久しぶりでヘヤートニックを使いましたが、効き目がないのです。振り返ってみれば、それは40年も前の頂き物で、妻に「アルコールが抜けたのでは」と指摘され、大笑いしました。

 週の後半は鼻かぜが好転し、正常に起きだして指物師の真似事から手を付け、続いて温室の整理に移り、木曜日からは腰の痛みがすっかり取れましたので庭掃除を始めています。金曜日は、午前は学校で、夕刻は朝日カルチャーセンターでしたが、その間に2組の来客を迎えています。今は土曜日の朝、これから宮津の地球デザインスクールに出かけようとしています。

手描合羽刷木綿の笹文暖簾の前で、友がご母堂と一緒に写真に納まっています。宗悦展の会場で、この笹文暖簾と同じ暖簾をガラス越しに見ていたときに、友が取り出した写真です。かつての老舗は、奉公人に信用の大切さも叩き込み、信用に値する人に育つと独立を許し、暖簾を贈ったわけです。友のご祖父はそうした暖簾を贈られた1人であり、その誇りをお父上が継承しておられます。

京都文化博物館の入口近くの会場で、ステンドグラス造りの同好の士が集い、発表会を催していました。だから私はステンドグラスの製作も得意としたウィリアム・モリスを思い出したのかもしれません。モリスは、日常生活の芸術化に寄与する職人を尊重し、その美的付加価値をレッサーアートと呼び、絵画や彫刻などの芸術よりも上位に位置づけています。
ある夫妻が生み出した「世界に同じものが二つとない代物」です。アイトワのワークショップで紹介させてもらっているものです。この夫婦のブティックでは、こうした代物を生み出すにいたった考え方や過程にも触れることができます。

手作りの額縁が壊れましたので、風が当たらないワークルームで指物師の真似事をしました。30年余り前に、家屋を建て増した折に出た木切れを生かしてこしらえて物です。4隅を強化する三角の木を入れていませんでしたから、このたび補修した次第です。これで終生使えることでしょう
温室の収納ロッカーの塗装が乾きましたので、放り出してあったものの収納から手を付けました。鉢植え植物の草抜きにも半日を割いています。特にハコベがむくむくとはびこっていました。晴天の昼間の温室は、Tシャツ一枚にならないと汗が出るほどです。

庭でシイタケが出始めていました。冬子です。たぶん、これらのホダ木は、これが最後か、あと一度ぐらいしかシイタケを出せないことでしょう。そのあとはボソボソになった木が残るだけですから、畑に鋤きこみます。というわけで、この2月末か3月初めには次のホダ木を作ろうと考えています。

タイから頂き物が届きました。妻がタイ旅行で知り合った人が、中国の雲南省を旅したからといって贈ってくださったのです。キヌガサタケの干物や、少数民族の人たちがたしなむお茶などが入っていました。