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アイトワ循環図
里地里山と社会的責任  08/03/09

 庭の梅が月曜日から咲き始め、日々ウグイスがさえずります。フキノトウやクリスマスローズの季節です。庭のようすが刻々と変化する季節を迎えたわけですが、まだ油断は出来ません。朝の室内温度が8度を下回り、水鉢に厚い氷が張るほど寒い夜もあり、霜が降ります。

 外食の多い1週間でした。土曜日の夕刻からアイトワ塾の合宿があり、火曜日の「里地里山シンポジューム」を終えて夜に帰宅するまでの間、10食のうち7食が外食でした。4日連続で夕食を外食したことは、出張でもないかぎり、結婚来初めてのことです。週末も泊まりがけで大垣に出かけました。このおかげか、ココロ惹かれる多様な人と、これほど多く出会えた1週間は初めてのように思います。この間に、友のご母堂手作りの恒例のちらし寿司もご馳走になっています。

 アイトワ塾の合宿は医療問題を取り上げました。わが国の医療は破綻状態です。原因は施政者と国民にありそうです。お互いに国を食い物にしているのではないでしょうか。太平洋戦争では、世界の動きや情勢にうとい施政者と国民は焦土を残しました。このたびの経済戦争では、膨大な国債や地方債などの負債を残しそうです。医療問題はその典型的な1例でしょう。

 日曜日は9時から夕刻までぶっ通しで、同志社大学のソーシャルイノベーションプログラムに関わりました。受講生が創案した事業提案に対する評価です。その多くは共同体の建て直しを必要とする提案でした。企業の社会的責任にもスポットライトが当たりました。1人を除いて19人に無事修了証書が授与され、そのあとのキャンパス内でのレセプションは賑わいました。このプログラムは3年計画の初年度でしたが、とても素晴らしい企画で、よい切り出しでした。

 月曜日は、夕刻から久しぶりの飲み会でした。京都在住の学者と記者が主だったメンバーで、お決まりの居酒屋の2階で催される酒宴です。火曜日は環境省が主催し、京都大学地球環境学童が共催したシンポジュームに昼食時から関わりました。動員を掛けずに150人が集い、とても活発な意見が交わされました。これらにくわえて、金曜日に27人の庭のグループ見学者を受け入れています。そんなわけで、庭仕事は水曜日と木曜日に集中しました。

 パーキング場から周回路に掛けての掃除は大仕事でした。雪と春一番の強風が落としたモミジなどの枯れ枝を、駐車した車が幾日にもわたって細切れに粉砕していたからです。勉強になりました。これから雪や強風などが枯れ枝を落としたときは、まず拾い取ります。薪造りにも精を出しました。囲炉裏場の一帯に積み上げたクヌギの幹や枝が6割ほど片づきました。花を付け始めた紅梅などの植木鉢をテラスに運び込みました。アケビの棚の散髪も済ませました。

 来客の多い1週間でもありました。3人の友は約束通りに訪ねてくれました。寿司を届けてくれた友。天然素材を無添加で炊き上げる佃煮造りに生涯を掛けた友は、新しい製品の相談でした。残る1人は小倉山という名称がどのような歴史を経て今日に至ったのかを調べている友でした。他に、唐突に訪ねられてとまどった来客が3件、ポスター持参で訪ねてもらいながら留守をしており残念な思いをした来客が1件ありました。ポスターは「有機農業塾」を開講する案内でした。有機農業に生涯を掛けた友が奥さん連れで訪ねてくれたのです。この友は、こちらの都合を考えてあえてアポイントを入れずに訪ねたようです。妻がお茶の時間をご一緒できたようでヤレヤレです。

 こうした日々を通して、大勢のココロ惹かれる人と出会えたのです。これを機会にその多くの人たちとのつきあいが始まればいいのに、と願っています。都城からの野菜やタイ国のマンゴーなど嬉しい贈り物にも多々恵まれた1週間でもありました。辛いことも生じています。ケンの新たな病気がわかり、手術をせずに薬でごまかすような事態に陥っています。
 
畑の野菜をついばむヒヨ。ブロッコリー、菜花、白菜の順で好きです。今は白菜にまで手を出しています。まだ山は小鳥の餌が不足しているようで、庭に住み着いているポッポも餌をねだりに来ます。
アケビの散髪。昨年は散髪を怠っており、刈り取った蔓は手前の一輪車に一杯になりました。
週末に妻が収穫したフキノトウです。まずフキノトウ茶漬けを味わいたく思っています。これから後の出来具合で、フキミソになったり、冷凍保存するまでになったりします。
クリスマスローズもシーズンに入っており、次々ともたげたつぼみを咲かせています。庭の3カ所で育てています。
ハクウンボク(白雲木)の苗木をいただきました。どのような花が咲くのか、どのくらいの大きさに育つ木なのか分からぬままに、ナンジャモンジャを植えてある場所の3mほど南側に植え付けました。
ある朝食。友が届けてくれたミネストローネを生かしました。ディップや煮豆ももらいました。北海道紋別郡から届けられたという18種の豆を生かした品々です。ほとんどの豆が初めて見る品種でした。北海道に入植した人から引き継がれ、代々栽培し続けられてきた豆ではないか、と勝手に推測しています。気になるところです。
タイ国からのマンゴー。まず仏壇に供えました。都城からの野菜にはコイモや頭イモも入っていました。コイモは種イモとして生かします。頭イモはおでんに、と願っています。