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第3の時間、日常と非日常 10/08/01

 すごい雷鳴が響いたときに、植木鉢棚を「塗り上げておいてよかった」と思いました。「雨が降る」と見たわけですが、期待はずれでした。近くの大覚寺あたりでは「よいおしめり」であったそうです。骨休めの一日にした日曜日の午後のことです。

 翌朝、4時に目覚めるとヒグラシが鳴いていました。やがて小鳥がさえずり始めましたが、ホーホロリンは寝坊をしたようです。「今朝も天国のようだ」と思いながら、朝日が寝室に差し込む時期に入っていたことに気付きました。そこで、巻き上げてあった寝室のヨシズをまず垂らし、次いでオタマジャクシの鉢の覆いをとり除くために庭に出ました。

 大きい水鉢のレースカーテンに尾がまだ残っている小さなカエルがくらい付き、足元では羽化したばかりのアブラゼミが羽をばたつかせていました。「そうだ」とばかりに畑に移動し、朝一番に開花するズッキーニの媒介をしました。前夕から「(雌花が)開花する」と見込んでいたからです。その上で、玄関までとって返そうとすると、ミツバチの群れる羽音に気付きました。その方向を見上げると、トウモロコシの雄花に群がっていたのです。

 玄関に取って返したのは、オタマジャクシが棲む小さい方の水鉢を安全な場所に移動させるためでした。こうして朝飯前の一仕事を終えたあとは、日がやわらぐまで屋内で過ごし、午後4時から玄関前の加齢対策に手をつけています。シシガシラ跡の改装です。

 かく1週間が明けたのですが、その後は少し気ぜわしくなりました。来客、週に2度の水町さんの受け入れ、丹後への日帰り出張、緊急のアポイント変更、ある懇話会への参加、半年に1度の飲み会などと続いたのです。そして特記しておきたい気付きが2つ。

 まず自信があった腕っ節に不安を抱いたことです。思えば日に2度も腕を酷使していました。オタマジャクシが棲む水鉢の移動と、シシガシラ跡の改装です。後者には玄関の前まで石灯籠の敷台を運ぶ必要があり、共に重いものを両腕で持って運ばざるをえない事情があったせいです。それにしても、水鉢を移動させておいてよかった、と思いました。翌朝には両方の水鉢からオタマジャクシがすっかり出払っていました。手足が着き、肺呼吸ができるようになると、こうも行動と行動範囲を変えるものか、と驚かされました。

 2つ目は、日常の大切さに気付かされたことです。これまでもやもやしていた幾つかの思いが1の概念として結晶化し始めた感じです。それは、ヨシズを垂らしたり、助っ人の学生や日割り書生を受け入れたり、『そして我が祖国・日本』を読んだり、『環境倫理と生命倫理』を読み進めたり、あるいは7年前か始めていた加齢対策が重なって、第3の時間という概念を固め始められたように思っています。要は、「工業社会は、ヒトの人たるゆえんといってよい知的な日常を取り上げ、人をヒト化させ、たわいのない非日常に躍起にさせてしまうシステム」であった、と気付かされたわけです。

 それはともかく、ニホンミツバチはトウモロコシよりキンカンの花を好むことや、アブラゼミやキリギリスの鳴き始めはじめと、花オクラやノボタンの咲き始めが、今年は7月28日の水曜日であったことにも気付かされました。そして、その夜から金曜日の早朝まで雨が断続的に降り続いたことに感謝をしています。このおしめりで草木はとても喜んでいることでしょう。それだけに、多くの子ガエルが心配です。安堵できる茂みにまでたどり着くことができたのでしょうか。途中でウシガエルやトカゲなどの餌食にされてしまい、このお湿りを知らずに生涯を終えたのではないでしょうか。
 
温室内の植木鉢棚は、前週の金曜日に日割り書生の水町さんと2人で運びだし、塗りなおし始めました。翌土曜日の朝、妻に手伝ってもらって上下を逆にして塗り残しを1人で塗りあげ、学生が引き上げる前に乾いていることを確かめて、学生に手伝ってもらって元の場所に運び込んでいます。30数年前に妻と2人で廃材をいかして作りましたが、これであと10年や20年は使えることでしょう。

こんな角度(庭の北東近くにある門扉のあたり)から日が登っていました。角度もさることながら、竹木立ちの隙間を通して朝日が寝室を直射しており、ヨシズを垂らす必要性に気づかせたわけです。エジプトで見た「夏至の日の出」しか奥まで陽光が差し込まない遺跡を思い出しました。冬場は庭の南東にある裏門のあたりから日が昇ります。

先週末、学生が切り取ってくれたシシガシラ。その後を改装しました。一番大きな水鉢の置き台に、石灯籠の敷石を転用しましたが,その敷石は手で運ばざるを得ないところにあったのです。この水鉢では七草粥で用いるホトケノザを育てており、いずれ芽を出します。
 矢印は切り取ったシシガシラの株。

尾がまだ残るカエルの子ども。安全なところに移動させようと思って手で捕まえようとしたのですが、すばしこく逃げらました。水鉢の中には手足のついたオタマジャクシがまだ残っていましたので、小さい方の水鉢を泉のそばまで移動させたのです。そのおりに、腕が抜けそうな思いをさせられたわけです。

丹後から持ち帰った石炭。地球デザイスクールが宮津市から借りている廃校(かつて小学生低学年が学んでいた分校)の物陰に、今も石炭が打ち捨てられており、懐かしく思いました。幼い頃の私の密かな自慢の1つは、石炭に上手に火をつけることができたことです。

丹後からの帰路、駅頭で帰宅途中の女子中学生を見かけました。全員が、同じような品を立ったまま飲食しており、不気味にさえ感じました。それらの品を工場が次々と余に送り出す以前は、家路を急ぎ、母親など大人からホットケーキやみつ豆などの作り方を学び、あるいは見習い、やがては自ら知恵を絞りながら生み出すようにしていたわけです。

週初めからトマトが本格的に収穫できるようになりました。第1次のキュウリ、インゲンマメ、そしてズッキーニは終盤に入っています。出遅れたナス、トウガラシ、そしてツルムラサキはもうすぐ本格的に採れそうです。金曜日に初めて育てたウリ?が採れましたが、まもなくモロヘイヤ、オクラ、ハナオクラ、ゴーヤ、あるいはヘチマも採れるでしょう。