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 2Rと反省 13/02/03

 薄雪で明けた日曜日は、9時過ぎから庭に出ました。腰痛は軽くなっていました。前日、ほぼ終日寝て過ごしたおかげでしょう。次いで飛び出してきて書生に、囲炉裏場に残っていた薪の移動など力仕事を肩代わりしてもらい、10時に迎えた4人の佛教大の学生には、イチゴノキの移植と囲炉裏場の水路作りなどで大活躍してもらえましたから、腰痛をぶり返さずに済みませられました。私はもっぱらオヤツの「焼き芋」係りに終始したわけです。この間に楽しいメールや郵便が次々と届きました。

 三崎美夫さんから、まだ若いルリビタキの写真と「ユックリと生活を」との忠告です。3代目橋本萬象さん(5年前に襲名)からは「日本で最初の曲物(まげもの)の著作」誕生の知らせでした。高木由臣さんには「私達の教育界改革通信」に寄稿した一文で、iPS細胞について最も納得できる意見(PDF)を聴かせてもらえましたし、リズさんは帰米後の続報を届けてくれました。高橋央尚さんは「炊飯事業進出当時の詳報」です。

 月・火はほとんど屋内で過ごしました。温室の水やりなど軽い仕事と、歯医者で奥歯の1本を治療してもらっただけで、あとは掘りごたつで過ごし、スクラップした資料の整理などの作業に終始したわけです。この間にも楽しいことが続きました。「天草の実家から」届いたといって、大きなカリフラワーなど旬の野菜と初めて手にした「サバ節」を送ってもらえました。四国の知人は、見たこともない立派なイトヨリと旬に入った生わかめなどを携えて泊りに来てくれました。おかげで夕食は、豊富なサラダやイトヨリの刺身とか新わかめの酢の物になどを満喫です。おかげで、腰痛をこじらせずに済ませられました。

 そのあと、幸運なことに、久しぶりの出張予定が、水曜日からの2泊3日で、しかも温泉がついたホテルで過ごせたのです。その上に、帰路にゆとりがあり、上野で久しぶりのミュ−ジアムめぐりです。散策にはもってこいの天候でした。東京国立博物館では円空展に恵まれ、近代美術館ではミュ−ジアムカフェで書生と2人でゆったりとくつろぎました。

 帰宅すると、悲喜こもごもの知らせなどに加え、心配なケンの様態が待っていました。嬉しい知らせは、ある家族の5年ぶりの近況報告です。残念至極の知らせは、なんとしても会いたいご一行の希望日程が、変えようがない先約と重なっていたことです。反省が伴った知らせは、今頃になって中央環境審議会(環境省)で2R重視の方針が検討されていた、と知ったことです。ケンの様態は、わずか3日で老衰が相当進んでいました。

 週末はほとんど寝て過ごしました。どうやら腸をいためる風邪にやられたようです。書生と庭に出たのですが、私は倒れた竹を切り取るのが精いっぱいでした。書生は大奮闘で、長年にわたってスギやヒノキの落ち枝を積んできた山を移動させ、ケンの墓穴を拡張してくれました。この生前に掘る墓穴について、妻は反対論者でしたが、今では実績に従えるようになったようで枢要に。そのおかげだと思うのですが、ケンはその夜の食欲が進みました。スギやヒノキの落ち枝の山を移動させたのは防水対策の一環です。想定外の集中豪雨で、裏山から流れ込む雨水をそらせる工事に手を付けたわけです。


4人を迎えた週初めは寒い1日でした

 

 
この4人を迎えた週初めは寒い1日でした。これまでのリーダーであり、今は就活期に入っている村井由里加さんと後輩の1人薮本昌睦さんが囲炉裏場の南面に設ける水路の基礎を作ってくれました。これからセメントを使った仕上げにするか否か(雨の日の様子などを見て)定めます。イチゴノキの移植は、新たなリーダー役を担う池澤駿さんと島本世羅さんが当たりました。

水路の基礎を作ってくれました

イチゴノキの移植


斧(おの)の使い方を体験

 
もっぱら私は焼き芋係に終始したわけですが、この日の課題を終えた4人には、鉈(なた)や斧(おの)の使い方を体験してもらったり、クヌギの木の手入れの仕方や更新のさせ方を学んでもらったり、ホウやカシワの木の活かし方を考えてもらったりして、里山の知恵に想いを馳せてもらいました。おかげで私は腰痛を再燃させずに済みました。

天草出身の知友ができたおかげで、微妙に食感が異なる手作り野菜の濃い味を楽しめただだけでなく、わたし好みの逸品「サバ節」を初めて手にすることができました。丸ごと一匹の「姿節」ですから、味の良さだけでなく、滋養面でも優れていることでしょう。

イトヨリがこんなに立派な姿に育つことを初めて知りました。早速、一匹づつ3軒で分けて賞味しました。わが家では刺身と煮物にして、冷酒とともに味わいました。生わかめは、まず山芋と合わせた酢の物で賞味。

嬉しい知らせは、生活の営み自体を創造活動にする生き方を実践してきた家族から届きました。宿泊できる棟も用意できたとの手紙とともに、月餅を作ろうと用意したハスの実の餡など、手作りの品が添えられていました。消費を喜ぶ生き方ではなく、家族が支えあって創造の喜びを楽しむ生き方を実践している家族です。

久方ぶりに上野でのんどり過ごしました。この間に大きく変わっていたことは、館内での撮影が、欧米並みに可能になっていたことです。願わくば逆に、欧米に見習わせるわが国であってほしかったものだ、と残念でした。

ケンは末期の父と同様に、ほとんどの時間を眠って過ごすようになりました。次第に孤独感が強くなり、心細くなるようですから、夜分は居間で過ごさせようと思っています。つくづく墓穴を用意しておいてよかったと実感しながら、書生にふた回り大きく掘りましたもらいました。