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 「けど」外しと文明と文化 13/04/28

 まず、火曜日朝のことです。室内温度は11度なのにストーブを焚く気になっていません。体重を測定すると62.8kgと、63kgを切っていました。ヨーシ「これから体重は、63s前後を目指そう」と考えています。また、「これは、直観か、予感か」とも、考えています。先週、陶芸家・村山光生さんのお宅を訪れたときの往路で、廃屋を見かけた折の印象記を今週に回したことです。同道の2人にはその場で、「文明と文化の鬩ぎあいだ」との意見を述べています。

 ここで火曜日・朝までのトピックスを羅列します。日曜日、前日までの初夏のような気温から一転して15度も冷え込み、冬に逆戻り。初めて若掘りタマネギの葉の味をしめる。夕刻、2つのお寺までお世話になった礼で訪問。夜、一睡もできず、熟考。月曜日、彬さんに「今日は、私が言った通りに動き(庭仕事をし)なさい」と提案。結果、新農道が完成。その間に、私は温室の掃除を仕上げ、歯医者の待合室でうたた寝。夕刻、2度目の山椒の花摘み。彬さんは自発的にビオトープの土上げもする。夜も冷えが続いており、味噌煮込みうどんを食べて床へ、熟睡。

 火曜日は卓道さんを迎える日でした。快晴で明けたのに終日冷えました。午前は卓人さんの相談ごと(終始論文の主要事例として協力を求められた)に応じました。その間、彬さんは私の提案に沿って畑仕事。提案以上に仕上げました。昼食は、またぞろ散らかってしまった囲炉裏場で、妻も交えた4人でとろろそば。午後は、2人の青年に新石畳道造りに当たってもらいました。2時間余でほぼ完成。卓人さんが帰った後、彬さんはモロッコ豆の苗を植え付け、竹で支柱も立てました。その間の私は、もっぱらイノシシスロープと呼ぶ旧石畳道の除草に当たっています。

 新石畳道とは、「生ごみの山」(今は新果樹園になったところにある)に至る坂道を、切り石で舗装した姿です。2人は、竹の根っこなどを掘り起し、美しく仕上げました。この総仕上げは、妻の希望を入れて、あらたな丸石を買い求め、彬さんに任せることにしました。この日、とても嬉しい贈り物もありました。しかもその中に、有名なシャープペンシルが入っていたのです。

 翌水曜日は予報通りに終日の雨。午前中は彬さんの運転でホームセンターをハシゴして丸石などを買っています。いつものように誘った冨美男さんは、幾袋もの肥料を買い込みました。午後は雨の日のパターンになりました。妻は人形工房へ、彬さんは母屋に、そして私は書斎にと、それぞれ引きこもり、私は書斎で「庭仕事も面白いけど、勉強も面白いものだ」と思っています。わたしたち3人は夕食時に再会、やすむ前に彬さんと焼酎の湯割りで歓談。

 木曜日は快晴なのに、終日庭仕事ができませんでした。卓道さんの修士論文の関係で同志社大学院の新校舎を訪ね、そこから招かれていたある門跡寺院の集いに駆け付け、そこを中座して予定していた勉強会に、と動いたからです。この3件には共通点がありました。それは現文明の限界に気付く必要性と、文化の見直しが迫られていることに気付く必要性でした。

 金曜日は夕刻に、夫婦して「言葉を失う」とはこういうことか、と思わせられています。糟糠の妻を失った、との知らせが友人からあったからです。時雨がちの1日でしたが、4時まで庭に出ていました。雨の切れ目は、彬さんは(調理窯の仕上げに要する)赤土の用意など、私は鉈仕事や畑の除草。時雨れると温室やカフェテラスのテントの下を活かしました。彬さんはレモングラスの鉢植えづくりなど、私は来客の応対や調理釜の改良に要する模型作りなど、です。

 週末は快晴。彬さんは前日の夕刻から泊りがけで外出。久しぶりで妻が犬の散歩。このところ、犬の散歩だけでなく彬さんは(妻が焚きつけた後を受けて)私流に読書しながらクズの薪で風呂を焚き上げています。なんとかして「けど」を外し、良いヤツだけにしたい人だ。

 

いただきものの若掘りのタマネギには、葉がついたままのものと手紙が添えられていました。「なんと」と叫びたくなるほど、新鮮なタマネギの葉が美味しい。これまで知らなかったことがクヤシイこと、この上なし。タマネギを自家栽培する喜びが倍加です。


before

after
畑の中央に、一輪車を通す農道を(南北と東西に)十字に走らせていましたが、排水パイプを通した関係で、その南北の道を(1畝分東に埋め込んだ)排水パイプの上に移動させました。

今年は2度目の山椒の花摘みを、妻と二人でしました。庭の山椒の木はすべて自然生えですが、なんと実山椒の木がほとんどなくて、花山椒ばかりです。これまで実を大量に提供してきた大きな木が、例のごとく枯れそうです。山椒はわけもなく(?)、よく忽然とかれます。

彬さんと卓道さんの2人が新石畳道のあらかたを作り上げ、彬さんに総仕上げをしてもらうことになっています。その第一段階として、妻の求めに応じて丸い踏み石を据えつけました。私は、少なくとも第二段階の必要性を感じています。

母も愛用者の1人であった双美人印の会社が、110周年を迎えました。その記念品の1つに、かのシャープペンシルが添えられていました。それは中山太陽堂として創業した当時、早川兄弟商会(現、シャープKK)製造のこのペンシルも含め、文房具分野に手を広げていたからです。

庭で自生する昆虫なのに、初めてその姿を見る機会に多々恵まれた1週間でした。おの典型は、妻が体に付けて帰ってきたナナフシの幼虫(丈2p)です。成虫と違って動きが早く、片時もジッとしておらず、不思議な歩み方をしました。

調理釜の改良に要する部品の模型です。先週は空気口を(水島さんのアイデアで磁石を活かして)つくる手はずをととのえましたが、今週は鉄の庇(ひさし)をつけることになり、その模型をボール紙でこしらえました。