アイトワのホームページ
アイトワ循環図

 個離庵と小倉山荘 15/04/05

 週初めは法事があり(夭逝した義妹の夫の3回忌)、ルーチンワークを土曜日に繰り上げましたが、その後でいろいろなことがありました。新宮先生がヒョッコリ訪れ(お嬢さんとお孫さん同伴)、喫茶店のお客さんをしてくださった。お見送りした後、居間周りにある水鉢の水替えに着手。サルに歯抜けにされたカブラの跡の仕立て直し。夕刻は、町内自治会に参加。夜は、阿部ファミリーと交信の後、TVで同期生の雄姿を見た。

 義妹は、3人の娘に計4人の孫をえておりオバアチャンでも忙しいし、陶芸家の長女とロクロに並んで立ち向かったり、妻の人形教室の補佐をしたり、と立派に暮らしています。

 同期生はTVに登場し、わが国のマイカーブームの幕開け(1966年発売のファミリーカー・4人乗りニッサンサニー1000ccの開発)に関わっており、その後トヨタ(7カ月後に5人乗りカローラ1100cc発売)との間で始まる熾烈な競争を紹介した。他の同期生はマツダでRX-7開発に関わるなど、仲間は工業社会の波に乗っている。私はわが国の既製服化に関われた。それは今や昔の物語。工業社会は終焉期、弊害に多々苛まれている。

 3回忌は雨になりました。その後の昼食でワインをグラス1杯飲んだだけで(帰宅時には雨は上がっていたのに)庭に出る気になれず、新聞の整理や読書で終わっています。ただし、庭のトイレの名称を夕食時に(冷暗室にならい)「個離庵」と決めています。

 その夜、録画で倉本聰作・演出の『屋根』を観ており、考え込まされています。それは、NHK-TVの朝ドラ「マッサンとエリー」が高視聴率であったことや、「地道にコツコツ」をモットーとする少女が主人公のドラマが始まったことと関係しています。工業社会の終焉(総括)と、次代の謳歌とでもいうべき共通項に気づかされたわけです。

 月曜日は花曇りで明け、忙しい1日になりました。妻は(翌日午後から個展で、8日間の留守をする)私の8日分の衣服をセッティングしたり、グラタン、カレー、あるいはアゲの甘煮などを準備したり、と分刻み。にもかかわらず、なぜかダイコンの新たな活かし方まで工夫していす。私は、今年初のTシャツ姿になり、庭で終日精を出しています。もちろん除草が主。その合間に腰を伸ばす作業を挟む。鉢植えのギボウシは土替え。スズランは地下ろし。サルにやられた赤カブの跡は夏野菜の畝に仕立て直し。第3次スナップエンドウは支柱たてなど、その余力で、居間周りの残る水鉢だけでなく、キンギョやメダカが棲むすべての容器(水鉢、水槽、そして甕)の水替えを済ませています。

 この日は、花曇りの後は初夏のごとき陽気になっており、ハクモクレンが、夕刻にはソメイヨシノが満開に、ベニシダレまで咲き始めた。妻は早昼を済ませ、個離庵で電気工事中の中尾さんに駅まで軽トラで送ってもらった。私は左官の親方と打ち合わせた。

 その後は、水曜日の昼前から金曜日の夕刻にかけて銀座界隈で過ごし、週末の朝に4日ぶりの庭を見て、この生き方の意義を再確認。タマネギに(家を空ける前に)2日続けて液肥をやっておいてヨカッタ。ハクモクレンのジュウタンを踏み直し、門扉際の生け花を改めた。温室を覗くと水槽がかなり澄んでいた。急ぎ緑菜の補充で満腹させ、除草とこまごまとした庭仕事に励んでいます。この日に左官仕事は終わり、オヤツは親方と。

 夜は1人で1週間の整理。「小倉山荘・時雨亭はいずこ?」の答え(週初めの幼馴染)でテンションを高め、友人にもらった2著で心を整え、アイトワ塾生に借りた1書で工業社会の前に、そしてもう1人の友人にもらった1書でその終わりに想いを馳せています。
 


水鉢の水替えを済ませた

水色の水鉢を配置した
居間の周りにある7つの水鉢の水替えを済ませたが、まず、水鉢を洗いながら「どうして伸幸さんは(同じタワシで、こびりついた)コケを取りつくせたのか」と、その努力の程を振り返っている。次いで、落ち葉が入りにくい位置に、すべての鉢を並べ直し、アクセントとして義妹がくれた水色の水鉢を配置した


一通の手紙
阿部ファミリーと交信は、追加の額縁が仕上がってきたがキッカケ。寿也さんの手紙には、一葉の写真(小学校を卒業した結)と一通の手紙(花蓮は夏休みを待ち遠しく思っている)が入っていた。結は、アイトワでの影響か、将来像を見定め始めた様子。仁美さんは電話口で、元気を声を聞かせてくれた。


今週は左官仕事が終わった

 
わが家ではかつて寝室を零暗室にちなんで冷暗室と呼び合っ0ていた。それにならい、「庭のトイレ」を「個離庵」と呼ぶことにした。先週の大工仕事に次いで、今週は左官仕事が終わった。あとは水道工事と、電気工事の仕上げを残すのみ。


ハクモクレンのジュウタン

妻の願いで昨年植えたサクラは満開

学生が移植したサクラ
東京からの帰宅翌朝、新聞とりに出た折にハクモクレンのジュウタンを踏み直し、前夜の情景、白く浮かび上がっていた道を思い出した。前夜は、サクラは見えなかったが、妻の願いで昨年植えたサクラは満開学生が移植したサクラは花を2つ咲かせ、樹齢50数年のヤマザクラは8分咲きだったが、週末には散り始めている。

樹齢50数年のヤマザクラ


花芽炒め
とぼとぼと歩いて帰宅し、疲れ果てたが、もぎたての花芽炒めをたくさん作り、ワインと合わせてほおばると、英気が戻った。翌朝も同様の緑菜の補充で満腹し、庭仕事に励む気力を取り戻した。


門扉際の生け花を

日陰に隠していたハクモクレンと取り替え

ベニシダレの枝
庭を一巡後、門扉際の生け花を(日陰に隠していたハクモクレンと取り替え)改めた。出かける前にベニシダレの枝をテラスの水鉢に生けておいたが、満開になっていた。アネモネもわたし好みの3分咲き。義妹の傘立てを見直した

テラスの水鉢に生けておいたが、満開に

傘立てを見直した


温室の水槽に土を入れ

水槽がかなり澄んでいた

水草を植え、日陰を作った
火曜日に、温室の水槽に土を入れ、活かし方を改め始めた。金曜日に見ると、水槽がかなり澄んでいた。そこで水草を植え、日陰を作った。できることなら水替えが不要になることを願っている。これは、イトトンボの養殖場として活かすことを願っての亜g気だ。小さなビオトープを再現させたい との足掻きに終わるかも知れないが。