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 元旦から日常の非日常化 17/01/08

 本年最初の一週間は実に穏やかでした。妻は元日早々にユズを収穫しましたが、私は「日の出」を愛でながら終日養生しました。後藤さんと初ルーチンの後、賀状の整理、デスクワーク、そして食い意地だけで過ごしたわけです。翌日は、前日の養生が効いたのか、好天で明けたからか、それとも澄まし雑煮が2日から出たのがカンフル剤になったのか、午後から初の庭仕事。といっても、温室南の「ブッシュ候補地」の手入れのみ。この間に、2つのココロのカンフル剤に恵まれました。

 1つは、この日から妻は門扉を開け放ちましたが、晴太と藍花を連れた葉子さんにも立ち寄ってもらえ、「明さんも元気」と知ったこと。2つ目は、「東西の差異」にまた1つ、気付かされたこと。東洋人は無視して通り過ぎるのに、西洋人の多くが選ぶシャッタースポットに気付かされたのです。この日は、ある新兵器の「こけら落とし」と、妻が初めてゲンノショウコを煮込んだ日になりました。

 3日も好天で明け、橋本夫妻を迎え、先の週記で触れた「反対側」も話題にしました。お二人の見送時に、向かいの「ボッタクリ」に的確な助言を与えているご婦人に気づかされ、しばし立ち聞き。午後は小雨勝ちになり、書斎で過ごしましたが、水島さんが初仕事で3時に来訪。雨が上がっていることを知り、私は日没まで初の鉈仕事。夜はドキュメンタリー番組を多々、録画の早送りで観賞。
 
 お節料理は3ガ日で片付き、この朝から好物の雑煮のみ。朝から多様な庭仕事に取り組み、この日の主客・長津師匠に備えました。多様な庭仕事とは、まず、ネギの畝に腐葉土と土被せ。次いで腐葉土小屋の整理。そしてミニの石工仕事。この3つを片づけた上で、落ち葉かきの再開でした。これから2月の末まで、落ち葉かき、剪定作業、そして寒肥やりの3つを基本に、様々な作業を挟み込みます。暮れに、エンジンブロアー仕事に集中し過ぎて肩を痛めましたが、この失敗を教訓にしています。

 木曜日は、初めて私から「おめでとうございます」と妻に、42回目の結婚記念日を愛でることができました。それは暮れに整体院を訪れたおかげです。「次は」と予約を促され、「5日にでも」と私が応じると、妻が「結婚記念日です」と口を添えました。それがとても印象深く頭に残ったのです。この日は乙佳さんと中尾さんの打ち合わせの日でしたし、来客にも恵まれ、庭仕事は鉈仕事だけで終わりました。しかし、鞍馬がなぜか話題になり、その不思議さに興味津々にされました。

 金曜日はアポイントが何もなく、終日庭仕事に没頭しました。午前中にエンジンソーの初仕事を片づけ、昼食に上がると、堆肥の山の移し替えやタマネギ用の畝を仕立てる必要性が生じていたのです。前者はありがたい理由で、後者は気の毒な理由でした。夜は今年初の、しかも格別の刺身の夕食に舌鼓を打ったあと、TV録画でドキュメンタリー番組を観賞しながら、張った筋肉をほぐしました。

 かくして七草がゆの朝を迎えました。快晴で明け、初氷に初の霜柱が立つという厳しい朝でしたが、妻はホトケノザを探すのに苦労したとか。それだけに「手頃なスズシロがあった」と大喜び。この日は、短期ですが初の逗留者を迎える日でもあり、妻は暮れ済ませた風呂などの丁寧な掃除に再挑戦。私は風呂焚き、生ゴミ処理、あるいは運奉行などに努めました。思えばはこの一週間、ついに整体医の他は一歩も外出をせずに済み、「お金」には一切関わらずに過ごしたことになります。

 


妻が採り終えていた

気になっていた小ユズ
 なぜか元日早々に、妻が「ユズの収穫をしないといけませんネ」と言い出したので、「分かっている」とブッキラボウに応じた。気付くと「孝之さんは腕を上げにくいのでしょう」と言って、妻が採り終えていた気になっていた小ユズは、5日になったが私が収穫した。オカゲで元日から瞳さんに感謝し、結を思い出し、鶴田夫妻に感心することしきりとなった。


福茶

白味噌雑煮
 これも食い意地の1つだろう。元旦は、福茶、屠蘇酒で新年の挨拶、白味噌雑煮。その上でお節料理だが(亀のタケノコと焼きエビを除き)すべてに、少しずつ手を出したカズノコとボウダラのありようは母ゆずり。2日の雑煮は(母は三が日明けにしか出さなかった)澄まし。夜は、ハマグリの澄ましか茶わん蒸しのいずれかが付く。昼は鍋焼きうどん、もしくは海苔を巻いた焼き餅、あるいは安倍川餅。かくして3ガ日でお節を片づけた。その後は、朝は大椀の雑煮だけになる。こうした些細な変化付けも、わが家の日常の非日常化だ。

少しずつ手を出した

 

 

カズノコとボウダラ

澄まし

朝は大椀の雑煮だけになる


シャクトリムシ

ブッシュにする候補地

西洋人の多くがシャッタースポットにした
 今年は小さな甲虫や、元日早々にお目見えしたシャクトリムシの幸いを意識し、ブッシュにする候補地の1つの手入れをした。それはヘビやカエルなど小動物が冬眠中に草を刈り、笹などの繁殖を抑制する作業。その草刈りを終え、日向ぼっこをしながら鉢植えの除草に当たっていて気付かされたことがある。観光客は途切れることなくパラパラと、程度だったが、西洋人の多くがシャッタースポットにした。この奥がイノシシスロープ。


晴太と藍花

妻が衝動買いした新兵器

ゲンノショウコを煮込んだ
 誕生間なしから知る晴太と藍花は、「さん」や「君」では呼びにくい。清太は庭を駆け回ったが、妻が衝動買いした新兵器には気づかなかった。この日は、妻が初めてゲンノショウコ(やっと庭で大量に収穫できるようになった)を煮込んだ日になった。


長津師匠
 長津師匠に、今年も「匠の祭典」を開催し、高名な大工の「統領」が3名も参加、と伺った。同席していた妻は「教室展と(日程が)ブツカッタ」と残念がり、代わりに「あの子たちをお連れしたら」と私に促した。あの子たちとは玄果和尚一家の2人の息子のことだが、私は自制を促した。もう1つ、「80mもの登り窯」の話も伺った。その燃料は「エンジンソーではなく鋸で」となり、長勝鋸に相談があったわけだ。ちなみに、玄果和尚の息子を同道するように勧めた妻の気持ちは私にも分かる。今ならまだ私達夫婦にも、子どもたちの個性を伸ばすお手伝いができるのでは、と妻は言いたいわけだ。


石工仕事

美意識の題材

エンジンソーの初仕事
 この1週間で、あらかたの仕事に手が出せた。畝仕立て、石工仕事、鉈仕事、薪割、そしてエンジンソー仕事、これらの5つは初仕事。堆肥の山の移し替えは年に1度の仕事だが、このたび立派なアオリイカ、天然のタイ、そしてたくさんのエビやカマスを頂き、カラスなどにアラを狙わせないために迫られた。タマネギ用の畝仕立ては、苗を下さる人が現れたため。借りていた農地が宅地化されることになったため。腐葉土小屋の整理は、カブトムシの幼虫を野生動物からまもるため。

堆肥の山の移し替えは

カラスなどにアラを狙わせないために迫られた


スグキ

種イモを残した
 七草がゆに、「いつあやかれるのか」と気になっていたスグキを妻は添えた。妻の加齢対策として、今年は「ホトケノザ対策」を考えたい。もう1つ、今年は「クワイの自給対策」も考えたく、種イモを残した。20年来暮れに送ってもらっていた人から、買い求めていた農家の廃業(高齢化)と、「私の歳だから」で、これが最後との知らせが添えられていた。