アイトワのホームページ
アイトワ循環図

 畏れと恐れ、峻別 17/02/12

 「方丈」の棟が上がり「はざかけ」が完成した1週間でしたが、私たち夫婦は風邪との格闘に終始しました。終日雨の日曜日は、私は「よき骨休めになる」とのゆとりを示し、書斎で調べ事に精を出しました。妻はまだ起きているのが辛そうで、午後から寝室に引きこもりました。夕食時も、妻はほとんど食べられず、「両手が震えてお茶をうまく注げない」と嘆きました。とはいえ妻は、食事時になると起き出し、昼の鍋焼きうどんまで私の4食分はキチンと欠かさず用意してくれました。

 月曜日は嬉しい朝になりました。妻がいつものように起きましたし、友人がメールでマレーネ・デートリヒが歌う「リリーマルレ-ン」をクリック一つで聴けるようにしてくれたからです。ことがここに至った事情を妻には朝食時に話しました。それは前日、書斎で偶然見つけたあるメモのオカゲです。メモした当時の感激がありありとよみがえり、ドイツ通の友人にその旨を知らせたのがヨカッタ。問題はこの後でした。治まっていた水洟がまた出始めたうえに咳込みが始まったのです。その後、熱は38.8度にすぎないのに寝込んでしまい、背骨が張って痛くなるほど眠りこけたのです。後刻、妻と「無理が効かなくなったカラダ」を自覚し合い、しんみりと嘆くことしきりでした。

 もちろん、良いことも多々あった一週間でした。まず火曜日に届いた郵便物。長津師匠が「文科省に依頼された」と言ってある機関誌を届けて下さった。この日は朝刊で、高橋是清が百年も前に「文部省ヲ廃止スベシ」と訴えていたことを知り、喜びは倍加です。文部省という日本独特と言ってよい「押しつけ教育システム」は富国強兵などロボットのごとき人間をつくる上では有効でしょうが、これからは逆に足かせになります。日本の未来は、文科省を今、廃止できるか否かにかかっていそうです。

 水曜日は、まず「リリーマルレ-ン」を聞きながらロンメル将軍に思いを馳せ、その旨を友人にメールしました。次いで前(7)日が「北方4島の日」でしたから石橋湛山を紐解きました。この「小日本主義」を唱えた偉人は、文部省さえなければ、日本のあちらこちらで語る先生を輩出していたことでしょう。また、恐れと畏れの違いをキチンと教えるなど、峻別能力に富む子どもに育てていたことでしょう。木曜日も書斎と寝床の1日でしたが、方丈の棟上げ、別注品が出来上がってきた時、あるいは家具職人を迎えた時は、対応に出ました。今年も喫茶店が冬休みの間に什器の補修をしておきます。

 翌日は悲喜こもごもの1日でした。まず、新たな切り口から進化を学べそうな書籍をいただいた。実は週初めに、左の犬歯の内側が欠けてガッカリしたのですが、今度は左下の奥歯が砕けてしまったのです。その後、アンドラ公国から立派な写真集が届きました。その直後に、友人から「緊急入院を要する」との深刻な連絡がありました。そして、アメリカでは三権分立が正常であった、と知って安堵です。

 実は週末から、とても楽しい来客予定があり、タップリ庭仕事を予定していました。ところが、積雪と私の風邪のせいで順延になりました。かくして、在宅なのに1度も庭仕事に就かない一週間になったのです。でも、書斎でいろいろな想いをクロスさせる喜びに火が付き、国と国民の安寧を第一にすえた高橋是清、石橋湛山、あるいは尾崎幸雄に想いを馳せる週にさせたのでしょう。それはさておき、友人の手術が始まりますが心配でなりません。アメリカでは今、日米の似た者同士が会っていますが、アメリカは司法の歯止めが効きそうですが日本では効きそうになく、これも心配です。
 


水回りの配管

棟が上がる瞬間に初めて立ち会った


屋根裏(普通寝台列車の最上段のごとき)を造った

乙佳(いつか)さんたちは週初めに方丈の基礎を完成させ、水回りの配管も済ませた。木曜日に躯体を組み立て、小なりといえども(これが生涯最後の普請と思い)棟が上がる瞬間に初めて立ち会った。実は茶席のように背の低い建物にしたかったが、3つの理由でノッポになった。1つは、地震対策。基礎をシッカリしたので何10cmか高くなった。2つ目は、背の高に人に使ってもらいたい。3つ目は、ここで泊まりたいという人のために、法律が許す範囲の屋根裏(普通寝台列車の最上段のごとき)を造った


「はさかけ」を完成させた

かつて剣山系農業で学んだものだ
私が寝込んでいた間に、水島さんは「はさかけ」を完成させた。これはかつて剣山系農業で学んだものだ。いつの日か、ダイコンやイモのツルなどを干したいし、そうせざるを得ない時代が巡って来る、とも思っている。


鍋焼きうどん

冬場の昼食は、母が残した小鍋が大活躍の鍋焼きうどんに限る。結婚してこの方、妻は寝込むことがあっても、私の食事は一度も欠かさず用意してくれた。問題はいつ「アホラシクて造れません」と愛想をつかされかねないか、という恐れ。


この機関誌を知らなかった

この機関誌を知らなかった。師匠の寄稿記事は(昨今、にわかに有名になった)文部科学大臣の次にあった。この記事を読みながら、とても悔しい思いがした。実は、私は多くの素晴らしい文部省の人と付き合ってきただけに、このたびの上層部が繰り広げた倫理に反する問題も、高橋是清の提言に従っておればなかった話、と思ったからだ。子たちにこれほど示しがつかない事例は聴いたことがない。


別注品

この別注品は、これまでの印象深い思い出をコンパクトに集積した小宇宙を創りたくて、造ってもらった。と同時に、妻の掃除を楽にする小道具でもある。


異なる野菜の収穫をした
金曜日の朝、妻はこれまでとは少し異なる野菜の収穫をした。先月中旬、雪のせいで丸4日間も新鮮な野菜を収穫できなかったが、懲りたのだろう。それが原因で2人はそろって風邪に煩わされたのかもしれない。


この切り口から進化を学ぶのは初めてだ

立派な写真集

ペイジを繰るにつれて
この切り口から進化を学ぶのは初めてだが、新たな発見が多々あるだろう。立派な写真集がアンドラ公国から届いたたが、ペイジを繰るにつれて訪れたいとの夢を掻き立てられた。