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「形」、「型」、「方」、 12/01/08

 実に爽やかな元日でした。橋本宙八一家の在京5人を招いたおかげです。一家は卓道くんを除いて訪ねて下さり、元旦の祝の準備や後片付けを手伝い、勧めた通りに近隣を巡り、前夜のうちにたためなかったブルーシートを見てとり、収納の手はずを整えてくださった。こうしたことを通して、大仰に言えば「これぞ本質」と思うことがありました。

 いわき市から避難し、京都で過ごしている一家にとって、わが家の元旦は始めてです。つまり、目に見える「モノ」はことごとく始めてなのに、目には見えない「コト」が実に自然に、睦まじく運んだのです。まさしく「睦月の始まりだ」と、思いました。

 見送りながら「それはどうしてか」と考え、思い当たるフシにたどり着きました。それは、神棚と仏壇の前で形通りに手を合わせた朝一番にさかのぼります。妻が準備に手間取り、私は「いっそのこと、(元旦の)太陽に向かってお願いしようか」と思っています。つまり、わが家の「形」、伝統にとらわれるのではなく「願う中身が本質だ」と考えたわけです。その願いという目には見えないコトが、いわば生き方や考え方、つまり「方」が、この家族の「方」と似通っているに違いない、と思うに至ったわけです。

 翌2日も白味噌雑煮でした。「卓道くんに」と妻が用意した汁が2人前残っていたのです。雨が降り続く1日になりました。賀状の整理や居間に散在していた資料の後片付けなどに費やしました。その折に、去年はいろいろなことがあったナ、と振り返っています。居間には終日良い香りが漂っていました。妻が大晦日の夜に皮をむき、乾燥させていたユズの香りです。昨秋、ミツバチの師匠を訪ねましたが、その時にもらった柚子の香りです。

 3日は晴れ。澄まし雑煮。終日庭仕事。昼はにしんそば。庭での初仕事は、2本の苗木の植え付けでした。大晦日に、富美男さんを誘ってホームセンターに出かけ、買い求めてあったのです。次いで、温室の整理にかかりました。イノシシに荒らされた跡の補修にも随分時間をとられました。未だその出入り口が見つかっていません。夕刻、わが家のユズを収穫。そして夜は、干し上がったユズを粉にひき、「年賀状of The year」を選び、そしてお気に入りの野良着の補修。かくして3ケ日が過ぎ去りました。

 4日は、雪景色で明けました。屠蘇酒を飲みきろうとした妻は、ほろ酔い加減で初散歩。私は雪にイノシシの足跡を求めて出ましたが、なし。雪景色をカメラに収め、あとは書斎にこもりしました。薪ストーブが階下で初めて焚かれ、暖かみが書斎に伝わってきました。

 翌金曜日から樹木の剪定に集中です。まず、富美男さんに見習ってもう1本のほうのウコギの手入れから手をつけました。そして、もう1本のキハダにいたった時に、「待てよ」となったのです。暮れに、「百年の計」と「一年の計」の間の配慮不足を嘆きましたが、私も「チャンとその配慮ができていたではないか」と気付かされたのです。

 キハダは数年前から剪定が簡単な方式を追求しており、2年前に樹形を定めています。にもかかわらず、なぜすぐにこの事実を思い出せなかったのか。「それは『型』が不明解であったせいだ」と考えました。つまり「方」を、次々と望ましき「形」に結び付けてゆく肝心が、本質である「型」がココロの中で固まり切っていなかったわけだ、と反省です。

 週末は、予期せぬ来客が重なったり、富美男さんに訪ねてもらえたりと、忙しくて楽しい1日でした。富美男さんは、私が樹木の剪定に集中していると知って駆けつけ、ホウノキなどの剪定にたずさわってくださった。夜は、味噌煮込みうどん。
 

神棚のサカキ、仏壇のナンテンは庭で採りました。喫茶店は茨城の友人からもらったバラ、橋本一家の手土産の餅花、富美男さんにもらった花などで飾りました。暮れには、妻が「お母さんごめんなさい」といって両親の墓に供えた花がありますが、それはすべて、庭で取り揃えた花であったからです。

茨城の友人からもらったバラ

餅花

富美男さんにもらった花

しめ飾りは、元旦の祝の準備を妻がしている間に取り付けました。昨年は大晦日に取り付け、橘の実をカラスに食べられたのです。橋本宙八さんは、私から学んだしめ飾りの作りの「方」にそって、戻ってから幾つかを編み上げ「TOSCAにも飾った」とのこと。これがきっかけで、「縄を編む感触を掌が覚えました」と喜んでくださった。

福茶の塩梅、屠蘇散の割り方、白味噌雑煮の配合、そして亡き母と妻の折衷型のおせち料理など、わが家流の、いわば「形」の体験は、当然この一家にとっては初めてでしょう。しかし、こうした「形」を次々と生み出す目には見えない「型」はとても似ていたのではないでしょうか。さらにいえば、「型」を似させる「方」、つまり生き方や考え方が似ていたのではないでしょうか。

3日から澄まし雑煮と庭仕事。まず、ミカンの苗木(宮川早生と青島温州)の植え付けでした。腐葉土、発酵させた鶏糞と牛糞、油粕、そして灰を混ぜ込んだ穴に植えつけました。3年ものの宮川早生は、富美男さんの助言に従って整枝したうえ、いつものとおりに支柱を立て、寒冷紗を被せました。ちなみに、この宮川早生のために、ダチュラを1株犠牲にします。青島温州のために、数本のドウダンツツジを犠牲にします。

温室ではツボサンゴの植え替えもしました。この時期に植え替えて、加温していないとはいえ温室で越冬させるのは邪道かもしれません。しかし、これがわが家でツボサンゴを生き長らえさせてきた秘訣です。それまでに数代を下らない失敗をし、多くのツボサンゴを枯らしています。いずれ、この手の無理は、しなくなるのではないでしょうか。

久しぶりで薪割りをしました。この時期は風呂炊きにもたくさんの薪を要します。そこで、備蓄の薪をとりだして小割りにし、割竹と一緒に焚口まで運び込んだわけです。

週末は、庭で自生する(ようになったホトケノザを含む)六草を探し、スズシロ(カブラを)と一緒に収穫し、七草粥を用意することから妻の1日は始まりました。その粥を食べ終えて間なしにチャイム。長野の (30年ちかくにわたって年越しそばを送ってもらっている)友人が、「仕事のついで」といって幾年かぶりで立ち寄ってくれたのです。最後の来客は、半断食で知り合った仲間の一人が、すばらしい恋人同伴でした。