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 二人扶持、五紙とNHK 14/10/26

 週初は、同志社大学大学院が派遣した5人の学生と実に楽しく費やしました。「オーガニック社会生活デザイン論」という時(代)を得た講座ですし、わが家はかねてから「オーガニック生活」を実践してきたわけですから、楽しい1日になって当然です。今や「オーガニック社会をデザインすべき時代」だとの想を、講義、実技、そしてセミナーを通して訴えました。

 実技は「単なる生活雑務」のお手伝い、と言ってしまえばそれまでですが、それぞれ奥深い意味合いを持たせています。つまり、それぞれを有機的に、つまりオーガニックに繋がらせているのです。ですからセミナーでは、「手段の目的化」は好ましくないが「目的を手段化(週記から 130623 循環型生活の根本とヒラメキ)」する大切さを訴えました。だからでしょうか、わが家の結婚観にまで話題が広がってしまったのです。

 ついこの間まで、日本では「二人扶持」という言葉が多用されていた、と指摘しました。わずかな収入で苦労している男やもめに、「二人扶持ならやって行けるヨ」などと結婚を勧める時に用いた言葉だ、と教えました。わが家はこの「二人扶持」を地で行っており、つまり夫婦で生活を有機的に支え合って豊かにしており、受講者は何かに気付いたに違いありません。

 工業社会は逆に、結婚はわずかな収入ではできない状況にしたし、共稼ぎなのに収入不足にあえぐ家族を増やしています。「何かがおかしい」。そのおかしい何かが積もり積もって環境問題や資源枯渇問題をはじめ、南北問題まで生じさせている、と私は睨んでいます。この点はやがて誰の目にも明らかになるでしょうが、その時に気付いたのでは手遅れの人生でしょう。

 月曜日は、13年ぶりの再会がメインイベントになりました。カステラを手土産に石神夫妻の来訪です。かつて石神夫妻には「会社を辞めました」といって訪ねてもらっています。私はその会社の顧問をしていたことがあり、そのよしみで迎え入れました。そこで、創業の夢を聴かされ、助言をさせてもらったのです。その後、2〜3年も過ぎたころでしょうか、手作りの味噌が届くようになり、やがてカステラを毎年送ってもらうようになり、今日に至っています。この夫婦は、私の目には「二人扶持」の好例のごとくに写っていますし、夫唱婦随で誠実に(菜園活動も組み込んだ)新規事業に取り組み、見事に道に乗せていますから、とても期待しています。

 そのようなわけで、週初のルーチンワークは(アイトワ塾があった火曜まで)2日も順延となり、もっぱら「二人扶持」に想いを馳せる週の前半になったのです。そして週の中日から金曜までは(2つに用件で)出張。この間も、終始オーガニックな生き方に心をくだいて過ごしています。もちろん旅先では、NHK−TVのさまざまなニュース番組だけでなく、5大紙をはじめ数多くの新聞にも目を通し、反国益情報(大本営発表のチョウチン持ち型)を見透かしたく努めています。そして帰宅。今年も私にとっては格別のコメが届いていたことを知り、安堵しています。

 かくして土曜日が明けました。週の前半は、細切れの時間を生かして庭仕事に当たり、2本のキハダを剪定するに留まっていました。ですからすぐにでも庭に飛び出したかったのですが、まず阿部ファミリーに電話を入れています。この家族は「二人扶持」が見事に結晶した「オーガニック生活」の典型例、と私は見ています。また、思うところもあって、久し振りの電話を入れたのですが、どうやら良きタイミングであったようだし、金槌の音が電話口から漏れてきていましたから、きっと新たな一棟ができつつあるのではないでしょうか。

 この日は、冨美男さんを迎え、母屋の庭の手入れに終始しました。居間の前庭では、冨美男さんは八重のクチナシを植え付け、私は母の花壇が崩れたままになっていましたから、補修。中庭では、冨美男さんは10本近くのアジサイを移植し、私は踏み石の手入れをしました。

 


男性にはイチジクの植え付け

3人の女性にはヒノキ林の落ち葉かき
90分の実技時間で、男性にはイチジクの植え付けを、3人の女性にはヒノキ林の落ち葉かきを、そして残る女性には貝殻割りを、課題として与えた。落ち葉と貝殻はやがて有機肥料になる。イチジクは、前年度の有機肥料をタップリ投入して植え付けた。わが家では過去1年分の貝殻をすべて妻に取り置かせ、肥料にしてきた。この1年は、かつて肝臓をいためた頃とは逆で、シジミがとても少なくホタテガイをたくさん食していたわけだ。貝殻割りを受け持った女性は、そのホタテから砕き始め、悪戦苦闘していた。

残る女性には貝殻割り

ホタテガイをたくさん食していた

最近、私はカステラが好物なるがゆえに、奇妙な半断食を決めた。ある夫婦からもらうカステラを当てにして、買い求めてまでカステラを食べないことにした。以心伝心とは面白い。その夫婦とは石神夫妻のことで、久方ぶりに電話をもらい、カステラ持参で訪ねてもらえた。「あの(当時背負っていた)子はもう中学生ですから、13年ぶりですネ」と聞かされ、再会は感慨無量となった。


持参した八重のクチナシを「ここに植えたい」

屋石の縁取りは崩れた

雨が仕上げるようにデザインした
冨美男さんはまず、持参した八重のクチナシを「ここに植えたい」といって作業にとりかかった。これを好機とばかりに、私はつぶした(石の縁取りが乱れた)ままの母の花壇の補修に取り掛かった。かつて明範クンが花壇を作り始めた時に、この石を流用したが新たな花壇は完成せず、石の縁取りは崩れた。そこで、石をすべて取り除き、2〜3年もすれば雨が(土を適度に流し、コケを生やして)仕上げるようにデザインした。


移植前

移植後
手前のアジサイをすべて奥に移植した方が(造園デザイン上)良いとの提案が形になった。その間に、私は廃石で踏み石の手入れを、と「」を満喫。

踏み石の手入れ前

踏み石の手入れ後


埋め戻していない水道管が気になった

保温に配慮
週初から冷え込むようになり、居間にガスストーブを出した。水曜日の早朝、出張の朝に一段と冷え込み、ストーブを使い始めたが、埋め戻していない水道管が気になった。そこで週末、冨美男さんを迎える前に、保温(補修の都合で、配管が地表に近くなった)に配慮し、埋め戻した。

保温に配慮

埋め戻した

格別のコメは、今は亡き無二の親友夫人が育てた米であり、玄米だ。橋本宙八夫妻と出あい、半断食道場を知ることによって、玄米の値打ちを一段と深く知った。

当週も願っていたかのごとくに過ぎ去った。恒例の玄米が届き、妻の白髪頭を見ながら、最後に自重しなくては、とシンミリさせられたからだ。同時に、次週は「ここを片づけよう」と目地埋めに思いを馳せ、取り急ぎハッピーの小屋を妻の目につきにくいところに移動させた。その途中で、一輪車のバランスを崩し「歳」を思い知らされている。