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アイトワ循環図

 「はんだか」と夫婦ゲンカ 15/03/01

、 東京で迎えた週初めは、楽しいことが多々ありました。藤田嗣治の戦争画を鑑賞、第3回リクチュール塾の修了式と打ち上げパーティ参加。そして次年度以降の運営会議でした。その間に、1冊の本を贈られました。その後はそそくさと、アイトワ塾(実はとりわけ嬉しいこと)が待つ京都に戻りましたが、帰途の新幹線で振り返ったことがあります。それは2日前のできごと、夫婦喧嘩の思い出であり、いわばその検証作業でした。

 「そうであったのか」と今更ながらに気付かされたことがありました。これからは、是非は別として、夫婦げんかの回数が格段に減りそうです。同時に、これまでの努力は「なんであったのか」と、少しアホらしくなっています。でも、この検証で得たヒントが、アイトワ塾で、とても役立ちました。時間の進み具合は2通りある、との気付きです。個人差があって当然ですが、根本的に異なる2通りの時間がある、と気付かされたのです。

 火曜日は、ドタバタすることが生じましたが、結果はゆったりした時間になりました。ある日程が、明水曜日は「天気が悪そうなので」との理由で急遽1日繰上げになったのです。カフェテラスに新顔の「はんたか」登場です。これでアイトワの理念は一段と現実化。「はんだか」とは太陽炉ですが、新宮秀夫さん考案の太陽光集光器のことです。

 その組み立てには大西東洋司さんが当たってくださり、曇天でしたがゆで卵をつくりました。夏場の快晴なら最高2000度Cの熱まで得られます。2000度Cと言えば石も溶かし、ルビーを結晶させます。アイトワでは農具の刃先の補修と焼き入れに重宝しそうです。

 もちろん、アイトワの理念「太陽の恵みの範囲で享受する豊かさの追求」をお2人に紹介し、庭を案内しました。そこでまた、目から鱗。とっくの昔に、わが国には、同じことを憂い、同じ夢を描いていた人がいたのです。とても爽快な気分でお2人を見送り、そそくさと老人の木登りをしました。妻に叱られながら、見事2本の枝を切り落としました。

 雨が降るはずだった水曜日は、なんと快晴。朝一番に中山さん(高木の切り取りなどを頼んでいる造園会社)を迎え、6本の木(赤松2本、黒松1本、シブガキ2本、そしてジロウガキ)の手入れを依頼しました。そのまま、この日は終日庭に出ており、除草に励んだ後(指先が痛くなったの)で、畝の仕立て直しに切り替えています。フキノトウが沢山出始めましたし、野草も次々と花を咲かせは始めており、気が急きます。

 木曜日は終日雨になってしまい、中山さんの庭木の手入れは順延。私はほぼ書斎にこもっていましたが、この間に2時間弱、金融問題に詳しい人を迎えており、拙著を買求めてもらえたのを「これ幸いに」と、幾つかの質問をぶつけ、意見交換を楽しみました。

 金曜日はややこしい天気で、日が射していたかと思うと時雨れ、アラレにも悩まされる始末。中山造園は3人を派遣。門扉脇のアカマツの剪定(喫茶店の開店前に)から順に3本の松とジロウガキを片づけてもらいました。私は午前中を除草に割き、午後は剪定で出た松とジロウガキの枝さばきに当たり、翌日の佛教大生受け入れに備えました。

 春のごときよき週末でした。前日と打って変わった好天のもと、中山造園の3人は2本のシブガキを午前中で片づけ、6人の学生はチームワークよろしく(4つの大石の移動、剪定クズ燃やし、踏み石並べ、そして焼きイモ作りなど)大活躍。この間に、懐かしい来店客に恵まれました。冨美男さんは華道教室のあと居残り、イチジクなどの剪定をしてくださった。水島さんと今後の段取りを打ち合わせました。
 


東京マラソンで迂回を余儀なくされた

東京近代美術館は空いていた
戦中戦後の重苦しい空気を知る者として、敗戦後70年を意識し、藤田嗣治の戦争画・「アッツ島玉砕」他を観た。安倍政権のやり口を気にしながら、民主主義は独裁政権の母体になりかねない、と心配。東京マラソン(36000人参加)で迂回を余儀なくされたが、東京近代美術館は空いていた。


第3回リクチュール塾の作品展

修了式
第3回リクチュール塾の作品展を開会から参加、修了式と打ち上げパーティにも出た。次代は、資源大国の真似をしていたら命取りになりかねない、と思っている私は「オートメイションから道具へ、コピーからオリジナルへ」とのヒントを述べた。私が学生のころは、40万人もの女性が洋裁学校で花嫁修行をしていた。その学校がことごとくデザイナーなどの養成校になったが、今は300校で1.6万人が学んでいるに過ぎない。これからは、家政学部復活を見込める、と思う。


思っていたより大型

納まるべきところに納まった

とてものどかな気分で終わった
アイトワに届いた「はんたか」Uは、思っていたより大型で、カフェテラスの模様替えが必要になった。でも新宮さんの「納まるべきところに納まった」との発言が心地よかった(大西東洋司さん撮影)。これで「はんたか」と命名された意図(著書でも読んでいたし、いわれを聞いたのはこれで2度目だと思う)が、やっと腑に落ちた。バタバタと始まった時間だったが、とてものどかな気分で終わった。

帰宅するとフキノトウが出て、野草が一斉に咲きかけていた。火曜日の夕刻、スライド梯を目いっぱい伸ばし、老人の木登り。フユウガキなどを木陰にしていたモミジの枝を2本、切り落とした。


ズルケ切らずに残っている
フキノトウ茶漬け
この冬は、とり分け寒く感じたが、それは私のカラダの都合かもしれない。ハマユウ(水俣事件の語り部、今は亡き杉本さん宅で泊まった折にもらった)がズルケ切らずに残っている。また、フキノトウが早、沢山出始めており、フキノトウ茶漬けを楽しんだ。


門扉脇のアカマツ

剪定後

ジロウガキは樹高を5分の1程度
門扉脇のアカマツを手始めに、マツ3本の3〜4年ぶり枝さばきと、カキ3本の頭の切り取り(ジロウガキは樹高を5分の1程度に、2本のシブガキは4分の1程度に)はプロに済ませてもらい、幹の後始末は、これから私が当たる。

シブガキは4分の1程度

幹の後始末


大石を所定の場所に運び

大石を所定の場所に運び

大石を所定の場所に運び
4人の男子学生が、4つの大石を所定の場所に運び。巡回路の低地に5つの踏み石を配した。2里の女子学生は、顔を真っ赤にしながら焚き火番をし、願った通りに囲炉裏場をかたづけ、見事にイモを焼いた。この最中に懐かしい来店客を迎え、楽しい語らいの時間も作れた。その夜に、HCでポットで育苗する(屋内に取り込むため)にピッタリの盆を見つけご機嫌になっている。

5つの踏み石を配した

炉裏場をかたづけ

楽しい語らいの時間

ピッタリの盆を見つけ