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 恵方屋台と「五位一体」に感嘆 17/11/05

 当週はトピックスが5つありました。まず「恵方屋台」が搬入され、仕上げ作業が始まった。お茶の時間に教え子の手土産を賞味し、その生き方に感心しましたが、それは予告編でした。「習近平の思想」を知り、ヌカ喜びでないことを、と願いました。折よく、プルトイが納入され、喜びを倍加。そして、私たち夫婦は、初めて根菜の苗を移植。これがよき実験になるように、と願いました。

 雨の日曜日。腰痛は消えていたし、終日安静にしていたのに、夕刻には不気味なぶり返し。翌々日、その不気味さにさいなまれる自分に気付かされ、ニンマリです。この日、中国の「五位一体」政策が報道され、思い当たるフシがあり、感嘆。その喜びが、水曜日のプルトイ納入を一層愉快にしたわけです。この日のルーチンでは、後藤さんに「これぞ懐中電灯」と思う品をもらいました。この日から、夕食にオデンが始まり、食卓の下にかつての書生、伸幸さんもらったホットカーペットを敷き始めました。

 曇天で明けた月曜日。腰痛が(右尻上部へ10p程)移動。それを気にしなが、PCの前に4時間ほど陣取った(この間に朝食の)上、書斎にこもりました。妻は朝食後、テラスで椅子の塗装。午後2時過ぎに「恵方屋台」の搬入があり、温室の側に設置。それを機に、私は温室で苗床に残してあった苗をポット仕立てに、妻は温室側で1畝を仕立て直し、初めてポットで育てたダイコンの苗を植え付けに当たりました。この日、朗読劇の入金見通しが立ち、水曜日に2つ目の嬉しいカレンダーが届いています。

 快晴の翌朝は、右尻上部の違和感が、深い息や右足の動かし方で鈍痛になることを自覚。妻は「お医者さんへ」と言いますが、食欲はあるし英気も失せておらず、控えました。にもかかわらず、いつも当てにする医師に電話をかけてしまったのです。「体重は?」との質問に安堵する自分に気づかされ、ニンマリした次第です。この日、教え子が父親の運転で作品を持ち込み、妻は1つのコーナーを与え、一緒に飾り付けました。そのあと、私はアイトワ菜の種をまき、妻に叱られました。

 水曜日も快晴で、悔しい思いをしながら書斎にこもりました。だが、途中で3度のインターバル。前日入荷したプルトイをゲストルームにデヴューさせた一時。恵方屋台に屋根が乗り、乙佳さんと煙突のつけ方を相談した一時。そして、四国に2本の電話を入れ、恵方屋台の細部変更を思案した一時です。夜分に、ポーズによって鈍痛の様子が変わることに気付き、内臓ではない、と安堵しています。

 板金屋さんが入った快晴の木曜日。津の吉の若奥さんを迎え、乙佳さんと細部打ち合わせ。その折に、根本も検討しています。それは恵方屋台の汎用性の検討です。この日から、計画的に庭仕事に取り組み始めており、まず立ち仕事。妻と、カシの生け垣の剪定。ゴーヤとカボチャのツルの始末など。翌日は逆に、腰をひねらずにすむ座り仕事。水鉢のミズクサ掃除。冬野菜の畝の除草。ネギの土寄せなど。そして夕刻に、10日ぶりの外出で、妻とパンジーの苗や野菜の種を買い求めました。

 かくして展さんを迎える週末となり、久しぶりに日本に戻った展さん一家と積もる話に花を咲かせました。展さんの母親ぶりに触れたのもヨカッタ。その途中から、恵方屋台では緻密さを要する要件が生じたので、展さん一家にも恵方屋台を見てもらえました。これもオカゲといってよいのでしょうか、庭仕事はパスとなり、その英気を次週にもちこすことになりました。

 


恵方屋台」は軽トラで搬入

4人で設置
恵方屋台」は軽トラで搬入され、4人で設置。翌日、屋根がのり、移動は6人がかり、と乙佳さんと見込む。翌日、板金屋さんが入ったが、津の吉の若奥さんを迎え、冷蔵庫用ソケットの位置などを打ち合わせ。土曜日に雨戸兼用の「跳ね上げ庇」と、カウンターがついた
屋根がのり

冷蔵庫用ソケットの位置などを打ち合わせ

「跳ね上げ庇」と、カウンターがついた


苗のポット仕立て

妻は温室側の1畝にダイコンの苗を植え付けた
「恵方屋台」設置の間、私は温室でその様子を伺いながら、苗のポット仕立て妻は温室側の1畝にダイコンの苗を植え付けた。「ならば」と私は水曜日に、自然生えのゴボウを苗にして、筒育ての筒に移植。夫婦は初めて、根菜(ダイコンとゴボウ)を苗で育てる実験に手を付けた。

自然生えのゴボウ

筒育ての筒に移植


椅子の本格的塗装を始めた

残る緑の天蓋
書斎に籠る日が続くなか、雨の止み間に妻が(過日、実験的に塗装した方式で)椅子の本格的塗装を始めたが、それがなんとも羨ましかった。台風が畑の支柱を壊し、耕せる畝が幾本もできたのに、耕せない悔しさ。落葉期が近いのに、残る緑の天蓋を剪定できない悔しさなど、腰痛が恨めしい。


2つ目の嬉しいカレンダーが届いた

サフランが咲き始め
先週、中村敦夫さんから次年度初のカレンダーを送ってもらい、当週は2つ目の嬉しいカレンダーが届いた。妻が招待した人の暖かい(中村さんの朗読劇が広く日本で公演されることを願う)手紙が添えられていた。この日(11月1日)からサフランが咲き始め、メシベの収穫を始めた。その折に初見の小さなガを見た。翌日、似た柄の初見のイモムシを見つけた

初見の小さなガを見た

似た柄の初見のイモムシを見つけた


教え子再訪時の手土産を見て

妻は彼女に1つのコーナーを与え
教え子再訪時の手土産を見て何もかもが手作りであったことを再認識。妻は彼女に1つのコーナーを与え2人で作品を飾り付けた。当週は、プルトイも納品されたが、「五位一体」の報道に触れていたので「やった」との気分にされた。2大国の人々に「未来が微笑みかける生き方を」勧める刻印を施してあったからだ。このプルトイにも1つのコーナーを割いた

2人で作品を飾り付けた

 


プルトイも納品された

「未来が微笑みかける生き方を」勧める刻印

プルトイにも1つのコーナーを割いた


うらなり(末成り)のたくましさ(右端)に驚く

ザリガニや淡水魚に日光浴をさせた

水鉢のミズクサ掃除
カボチャのツルも始末したが、うらなり(末成り)のたくましさ(右端)に驚く。太陽の傾きから「命短し」と感じたようで、種(を結ぶ部分)に全精力を傾注していた。陽光の大切さを再認識し、好天の金曜日はザリガニや淡水魚に日光浴をさせた上で、日光を存分に背に受けながら水鉢のミズクサ掃除に当たった。


展さん一家は元気だった

息子を連れだし時間をかけて説得した

「恵方屋台」の様子も見てもらい
夫のドイツ留学で出かけていた展さん一家は元気だった。今は骨折した息子の世話を、と良人の母親を呼び寄せていた。彼我の幼児教育の差異を知り(未来は現在の延長線上にある、と思い込んだかのごとき日本のありようと比し)不安を感じた。息子が気ままを言った時、彼女は息子を連れだし時間をかけて説得した「恵方屋台」の様子も見てもらい、そこにわが家が込める願いも理解してもらった。