都市再生は “デザイン” の見直しから 阪神・淡路大震災の警鐘 阪神・淡路大震災は、「デザインに対する厳しい警鐘でもあった」と私は考え始めている。 震災の朝、私は京都の自宅で「ゴーッ」という地鳴りで目覚め、震度5を体験した。揺れがおさまるのを待ち、妻と二人で別棟に住む米寿を迎えた母を見舞った。次に、妻に数カ所に分かれているわが家の火元の点検を頼み、私は近隣の遠望や家屋の点検に当たった。 建物にはほとんど損傷がなかったことを不思議に思いながら居間にもどり、テレビのスイッチをいれた。画面に写し出された都市は、無残な姿に変わった神戸だった。かつて8年も過ごしたことがある都市だけに、私は「あのビルが……」「あの商店街も……」と驚きながら画面に見入った。 火元の点検から戻ってきた妻に「震源地は神戸のほうだった」と教えた。その後、神戸時代に見知っていた街々の家屋構造や居住状況を思い浮かべながら死傷者の数を想像してしまい、戦慄を覚えた。 デザインの見直し 現在私は、短期大学 "環境問題と矛盾しないデザインやライフスタイル" について講義している。震災の2日後、教え子の一人から、「先生、わたしデザインの仕事、やめようか」と相談を持ちかけられた。彼女は一枚のポスターに触発されていた。そのポスターは、震災地救援に駆けつけるボランティアを急募していた。彼女は、「先生、そのポスターにはデザインなんて関係なかった。本当に必要なことにはデザインなんて必要ないんだ」と訴えた。この意見は、これまでのデザインが抱えもっていた悪しき一面を鋭く突いていたように思う。 被災地では、倒壊家屋のまわりに、まだ機能的には十分使えそうなモノがいっぱい散乱していた。20秒たらずの激震は、多くの物資をゴミにしていた。その多くにデザインが深くかかわっていた。 震災地の消防で次のような話を聞いた。つぶれた家屋の前で一人の男がうろうろしていた。その男は近づいた署員に、下敷きになっている「娘を助けてくれ」とすがりついた。資器材を持ち合わせていなかった署員が素手で瓦礫を取り除き始めると、彼は後方から「何をモタモタしている」とじだんだを踏むようにして大声を張り上げ始めた。耐えかねた署員が「私も素手だ!」と言うと、初めて彼は後方から割れた瓦を受け取るようになった。そして、娘が救出されるとどこかへ消えてしまい、ついに近隣の救出活動には加わらなかった。 この一件を知ったとき、これまでのデザインが目指してきた方向に私は疑問を持った。これまでのデザインの方向が鋭く問いただされているように思ったからだ。同時に昔話を思い出した。それは、かつてマンション住まいをしていた友人と交わした会話だった。 「森クン、昨夜帰ったら、ビックリしたよ。真っ暗なんだ」。家の電気が突然消えたようで、奥さんは赤ん坊を抱えて玄関で途方にくれていた。 「オレは男を上げたよ。『電気屋!』といってワイフに電話をかけさせた」。すぐに電気屋が来て切れたヒューズを直してくれた。「ワイフは『さすがねぇ』と感心した」。彼を笑う人が多いはずだ。私も笑った。その後、彼は子どもがケガをして血を出せば、「外科医!」、熱を出せば、「小児科!」と叫ぶ生活をした。山間部や離島の人が聞けばこれも笑止千万だろう。ノコギリやカマで手や足を切ったぐらいで医者にはかからず、自分たちで治療し合う。熱が出たぐらい医者など呼ばないし、呼べない。(『このままでいいんですか』平凡社) エルゴ・デザインという言葉がある。エルゴノミックス(人間工学)とデザインという二つの言葉から生まれた造語である。この言葉はこれまでのデザインの方向性を象徴している。これまでデザインは人間の生活を限りなく便利で快適なものにしようと努力してきた。 デザインの概念がまだ独立していなかった頃、人はそれぞれ生きる名人であった。麦や豆を父が育て、祖母が家で味噌や納豆を仕込み、母が粉を引いてうどんを打ち、兄が割り木をつくり、弟が風呂を沸かし、母が夜なべをして手袋を編む。その頃の人びとは相互扶助の精神を大切にしながら、お互いの技という行為を競って生きていた。ところが、デザインが独立した価値を持つようになって、生活の様子は大きく変わった。用途を細分した便利な既製品が次々と生み出され、生きる名人から得手や得意技を次々と奪い、すべての人を"ただの素人”消費者にしていった。 消費者はそれまでとは異なる競争関係に入った。新デザインは前デザインを旧デザインにしてしまうから、それまでの技を自慢し合う関係から、所有を競い合う敵対関係になった。そして、次第に願望や欲望の主張を許容する環境に慣らされてしまい、他の人を思う心を忘れがちとなってしまった。 住宅は「住むための機械である」という言葉がある。今日のマンションのようなユニット式集合住宅を最初に着想した建築家ル・コルビュジェの言葉である。住むための機械は水道や電気などライフラインの上に成り立ち、ボタンやコックの操作だけて冷暖房機や風呂や便所などが使える。家屋は生産の場としての機能を持たず、皆で既製品を消費するだけの空間となった。だから、姑の知恵など不要だ。家族が力を合わせ技を出し合って自己完結的な生活を形成する必要はない。鉛筆一つ削れない子ども、魚を三枚におろせない主婦、熱や咳を癒す草や木の実を知らない親でも立派に生きていける。都市はそうした生き方を許容する典型となっていた。 そうした都市の一つが激震に襲われ、人びとは途方にくれた。にわかに共同体意識が高まったケースもある。余計に勝手な方向に走り出したケースもある。共通していたことは、飯ぐらいは鍋一つあれば炊けるし、トイレぐらいはスコップ一つあればどうにでもなるのに、ほとんどの人が停電や断水一つでうろたえてしまったことだ。 玄人と素人の差 テレビを通して多くの人がこの震災を目撃した。そして多くの人は「他人(ひと)ごと」とは思えなかったようだ。ボランティア活動や義援金募集運動の立ち上がりはとても早かったし、新聞に載った意識調査も「明日はわが身」と思っている人が多いことを教えていた。多くの人がそうした心境になった背景に体の知れない不信感や失望感が関係していたのではないか。 私はかつて神戸の企業で働いていただけにひときわだった。人工島ポートアイランドで勤務し、社長室長という立場にあったのでその安全性について相当の神経を払っていた。地盤沈下や液状化現象は当時の予測をはるかに超えていた。ライフラインの切断やモノレールの破損は聞いていなかった。 これが予期できない事態であったのなら誰も非難はしない。問題は、こうした事態が生じうる可能性を知りえた玄人がいたのではないかということだ。そしてどこまで玄人は素人に事前に予告していたのか。テレビでは、地震予知連の人は地質学者を責め、地質学者は政治家を責めていた。玄人は自分の専門分野や責任範囲をより狭めようとしていた。本来玄人は正常時の生活を便利で快適にするより、いざというときの限りない安全性を保証しなければならない。その保証をする立場にある玄人が茫然自失状態となり混乱していた。その姿は都市の抱え持つ共通の弱点、あるいは文明の欠落点ではないかとの不安さえ与えた。その共通の不安や不信が素人の連帯感を高めたのではないか。 玄人と人の意識や認識の差を強く感じさせる好例もあった。阪神高速道路湾岸線の西宮港大橋橋げたが落下した。この落下現場に駆けつけた一人の玄人がその感を強く持たせる発言をした。彼は、橋と橋げた自体はそれぞれ別々に耐震性が考えられていたが、「つなぎ目は盲点であった」と語った。続けて、つなぎ目は「現在の科学では歯が立たない」と指摘したうえで、だから「手をつけていなかった」とも付け加えた。他方、素人はつなぎ目が一番危険だと感じていた。私は学生の意見も聞いたが、この落下の事実や1989年10月のサンフランシスコ地震で生じた同種の事故を知らなかった学生でさえ、九割近くがつなぎ目が最も危険だと見た。そして、自分たちですら危険だと感じることは、当然玄人がイの一番に研究しているものと信じていた。 玄人には、お互いに手をつけても学問的成果が上がりそうもない問題はすぐに見えてしまい、目をふさぎたくなるのだろう。だから、未検討部分を専門外として触れず、その事実も公表せず、素人に命がけの選択をさせていたのではないか。素人はこうした不信や不満を抱えている。 もちろん科学的方法とは、部分的な事実を確かめ、そのデータを拡大解釈して一つの結論を引き出すのだろう。問題は、その拡大解釈の仕方にある。誰のために、あるいは何のために拡大して解釈していたのか。この点を間違うと、人災とか犯罪と疑われてもしかたがない。その不透明感が、「日本や日本人のいいところも悪いところも見てしまった」と多くの学生に述べさせたり、外国人に「弱点を知った」とか「限界を見た」と語らせたりしたのではないか。 都市は脳の外化だとの見方がある。つまり、そこに住む人間の夢や願望が科学や技術やデザインなどの力をかりて形作った理想宮、というわけである。 どうやら私たち日本人は、異常時にはまともに機能しない都市を理想宮としていたようだ。少なくとも未知の事態に対する想像力は欠落していた。緊急事態を計算に入れず、都市を目先の欲望や損得勘定だけをいたずらに肥大させるような装置にしていたようだ。現実に、近代都市はどこともマスプロダクションをマス消費に結び付けるマスセールスの促進空間のような存在になっている。 問題は、それが必ずしも本来の人間の幸せには結びついていないことだ。内では心の貧困が問題にされているし、外からは環境破壊の元凶として指弾されている。 玄人はこれから、これまでの弱点や欠点をおぎないながら新規都市の再生に立ち向かわなければならない。単に防災面を補強するだけで、これまで同様の欲望や損得勘定の肥大装置のような都市の再生では許されない。 何に奉仕するか かつて西欧の「美術」は、王や神に奉仕し、神殿や王宮を飾っていた時代がある。その後ルネサンスによって芸術家は美術を自我の目覚めの手段とし、さらに写実主義や自然主義あるいは印象主義を台頭させ、自らの目的にしている。同時に、美術は万民のものとなった。デザインや科学や技術なども、ここらあたりでそのあり方を根本から見直し、せめて奉仕すべき対象や進むべき方向を定め直す必要性がある。少なくとも、玄人間で責任を転嫁し合うような隙間を作りたくない。 また、わが国が立たされている状況から願いたいこともある。たとえば欧州では、第二次世界大戦で破壊された都市を破壊前の姿に再現したケースが多い。彼らはそれが自分たち民族が最盛期に生み出し都市との認識が強いようだ。どうやら国家や都市にも、人生同様に最も華やいだ頃年頃というものがあり、彼らはそれを大切にすることによって郷土愛や同胞愛を高めたりアイデンティティー意識を深め合ったりしているようだ。神戸のみならずわが国の各都市は、現在そうした都市作りに取り組むべき状況、つまり年頃にあるのではないか。 誰しも、住民各人が好き勝手に欲望を肥大させあうような都市など望まないだろう。そして、時々そうした不調和な都市から抜け出し、心や体をスペイン村やオランダ村などで癒すことなど望んでいないはずだ。それではいつまでたっても仮住まい状態だ。願わくば都市とは、そこを営んでいること自体がアイデンティティーを構築し、誇りや充実感に結びつく空間であってほしい。いわんや、都市ぐるみで目先の実利を追うような時代ではない。また、地球環境に負担をしいる都市ではもはや許されない。現在、すべての文明国は次代に夢を馳せる環境問題と調和がとれた都市空間の創出が求められている。この度の震災は、そうした都市再生のチャンスを提供したものと位置づけてはどうだろうか また、わが国が立たされている状況から願いたいこともある。たとえば欧州では、第二次世界大戦で破壊された都市を破壊前の姿に再現したケースが多い。 彼らはそれが自分たち民族が最盛期に生み出し都市との認識が強いようだ。どうやら国家や都市にも、人生同様に最も華やいだ頃年頃というものがあり、彼らはそれを大切にすることによって郷土愛や同胞愛を高めたりアイデンティティー意識を深め合ったりしているようだ。神戸のみならずわが国の各都市は、現在そうした都市作りに取り組むべき状況、つまり年頃にあるのではないか。 誰しも、住民各人が好き勝手に欲望を肥大させあうような都市など望まないだろう。そして、時々そうした不調和な都市から抜け出し、心や体をスペイン村やオランダ村などで癒すことなど望んでいないはずだ。それではいつまでたっても仮住まい状態だ。願わくば都市とは、そこを営んでいること自体がアイデンティティーを構築し、誇りや充実感に結びつく空間であってほしい。 いわんや、 都市ぐるみで目先の実利を追うような時代ではない。また、地球環境に負担をしいる都市ではもはや許されない。現在、すべての文明国は次代に夢を馳せる環境問題と調和がとれた都市空間の創出が求められている。この度の震災は、そうした都市再生のチャンスを提供したものと位置づけてはどうだろうか。そして国をあげて神戸方式と呼ばれる新概念都市を創出し、世界の先駆けとしてはどうか。その年頃だ。