阪神・淡路大震災で学んだこと 1月17日の早朝、私は京都の自宅で異常な地鳴りに飛び起き、震度5を体験した。テレビは、破壊された都市を映し出した。その瞬間、私は「自然と不自然の衝突」との第一印象を持った。 その後、私は次第に歯がゆい思いや悔しい気持ちを高めてしまう。 異常と正常 人間はこれまで、自然と対決し、自然を征服してきた。そして、自然界にはなかったものを次々と作りだした。家屋、高速道路、堤防、三面張り河川、高架鉄道……、それらが20秒たらずの激震によって手酷く痛めつけられた。天災という「自然」と、「人間作りだしたモノ」つまり自然でない「不自然」の衝突である。もし、地震が田園地帯を襲っていれば、不自然な農法ほど大きな被害を受けていたはずだ。 その後、須磨海浜水族園のイルカが前日から異常行動をしていたとか、淡路島のカラスやトビ、神戸の食品倉庫のネズミ、あるいは被災地家屋の犬や猫などのペットが異常行動をしていたと報告されるようになり、私は「ちょっと待てよ」と思うようになった。 この理解の仕方でよいのか。彼らは本当に異常行動をしていたのか。むしろ私たち人間のほうが自然の変化に気づかず、呑気に不自然な行動をしていたのではないか。 もちろん、ネズミやカラスのなかにもドジがいたに違いない。逆に、異変をいち早く感知したのもいたはずだ。そのいずれを正常と見るか、そこが問題だ。少なくともリーダーは、自然の変化を一刻も早く気づき、一族郎党を安全なところへ導くのが役割だろう。もし、異常に直面しながら、まともな指揮のできないリーダーがいたら自然界では一発でクビだ。一族郎党は勝手な行動にでるか、新リーダーの下に再結集するかのいずれかだろう。 棄民への同情 テレビは爆撃され跡のような都市を映し出した。住民はどうしているのか。 わが国のリーダーが事実把握に腐心していた頃、スイスの救援隊は行動に移っていた。諸外国の動きは早かった。わが国のリーダーはその諸外国の救援申し入れの前に立ちはだかった。救助犬の前にも、医師団の前にも、米軍空母インデペンデンスの前にも……。その空母には数十機のヘリコプターと数十人の医師、大勢の救助隊、2,000人もの収容能力が備わっていた。わが国のリーダーが外国の救援隊と押し問答をしている間も、現場では火災が広がり、こうした救援申し入れがあったことすら知らずに多とが力尽き、焼け死んだ。 毎年わが国では、人口の一割以上もの人が海外旅行をしている。当然旅先では外国の医師や救援隊の世話になれるものと期待している。被災者は決して外国の医師や救援隊を拒んではいない。だが、リーダーは瓦礫の下で苦しんでいる人びとのこの意向をくんでいない。テレビは、打つべき手を打ってもらえず、外国から差し伸べられた手の前には立ちはだかられ、まるで見捨てられたような人びとを映し出していた。こうした人たちへの同情が、多くの人びとにボランティア活動や義援金募集運動に立ち上がらせたのではないか。もしそうだとすれば、同胞を思うごく自然な行動だろう。 機転と初動 人は突然窮地に追い込まれると、本能かモラルのいずれかで行動するという。 震災直後、多くの消防の電話は不気味なほど静寂を保ったようだ。10分ほどしてから電話がかかり始め、20分後にはパニック状態となり、機能しなくなった。10分から20分以内の初動、その間にリーダーはどう判断し、行動するか。 人命救助に当たったある消防によれば、初日は 5対1 の割で生存者を引き出せたが、時間とともにその率は逆転し、5日目以降は生きて救い出せる人はほとんどいなかったという。時間との戦いだった。 時間よりも大切なものもあった。それは機転だ。芦屋市に、機転が二次災害を軽減した例があった。同市には消防署の下に町火消のような消防団があるが、その一分団の動きが好例だ。 芦屋には六甲山から大阪湾に注ぐ急勾配の河川が3本ある。岩園分団ではその一つ、宮川からの取水を思いついている。副団長の松浦信行さん(45歳、生業は造園業)は土嚢を宮川の3カ所に積んで吸水ダムを作り、火災に備えた。 6時頃、一つのダムから400メートさきの民営高層住宅から出火した。消火栓は10分ほどで水が切れ、40トンの防火用水も半時間で底をついた。残る宮川の水だけで3日間にわたる消火活動を続け、延焼を食い止めている。 6時半には200メートル上流に作ったダムが生きる。出火した民家は翌日まで燃え続けるが、類焼を防いでいる。当日の深夜、さらに200メートル上流のダムが生きる。民家から出火したが、ことなく消し止めている。 ほんとうに良い子とは 松浦さんは「良い子とはどんな子か」と当時を振り返る。いつもは「どうしようもないヤツ」と思っていた青年が、当日は別人だった。造園会社のチェーンソーやスコップを持って飛び出し、3日後に帰ってきた。ぶっ通しで救援活動に当たっていたのだ。 団員には5人一組で3組を編成させ、造園業用のユンボやレッカーを使わせて救出活動に当たらせている。その場合も、日頃は「つまはじきにされていたような子がよく働いてくれた」と語る。異常時に、自分の頭で判断し、テキパキと動けたのは常日頃のエリートではなかった。「髪を染めたヤツとか暴走族のほうが」前に飛び出し、動きも早く、応用もきいた。正常時に、マニュアル通りにうまく動いていた人は突発事態では委縮したようだ。「優先順位を、自分の頭では決められんのでしょうな」という。指示がなければ動けないのだろうか。 どうやら私たちの社会は、自然の異常を感知したり異常に即応したりする能力を押さえ込んだり、自然界とはおよそかけ離れた、たとえば淘汰や優性遺伝など自然の法則を無視したような選択や行動、あるいは繁殖などを繰り返したりしてきたのではないか。そしてほんとうの弱者に無慈悲となっていたのではないか。 被災地の傾いた家で、不便この上ない生活をしながら、家族の心が一つになったといって喜ぶ親がいた。逆に、子供に簡素な生活体験をさせるチャンスを捨て、塾に通えるところへ引っ越すのが親の力、親心と判断した親もいた。 なお、私はまだ、震災地で野生動物の死体を見た人に出会っていない。 ストラテジーとプライオリティー これまで私たちは、平気で不自然なことをしていた。蛍光灯で昼夜をなくし、冷暖房機器で気温を変え、温室栽培でイチゴやナスの季節をなくし、キュウリやトマトの色や形を統一し、虫がつかず落ち葉が出ない造木を作り、春の小鳥のさえずりをテープで年中流し、それを不自然とは思っていなかった。 その典型はライフラインだ。水やガス栓をひねればいつでも、固定料金で出る。電気はボタン一つでつく。屎尿はコック一つで流れ去る。その後も、前も知らない。それで当たり前だと思っていた。私たちの社会システムは、何が本来の姿で何が恩典なのかを忘れさせ、便利さとか快適さ、あるいは目先の損得で判断させてきた。そこに、人間の力では押さえ切れない異変が襲いかかり、とほうにくれた。私たちは本能にもモラルにも欠けることをしていたのかもしれない。 わが家では過去に、アメリカ人留学生が幾人かホームステイしている。彼女たちの多くは、たとえば庭の草抜きをするだけなのにストラテジーとプライオリティーを尋ねた。戦略と優先順位だ。何を正常とし、何を優先するのか、と。この度の震災では、こうした判断が突発的に求められたわけだ。 ある消防署員は、一つの倒壊家屋に留まり、そこの家族を手伝って遺体を一体一体丁寧に引き出している。芦屋市消防本部では「鈴木(消防署員)は独自判断で民間人を組織していました」と聞かされた。彼は消防車に積んでいた資器材を民間人に独断で貸し与え、「二人一組」で、「死んだ人より生きている人を優先」と指揮して救出活動に当たっている。アメリカでは、足を挟まれて引き出せない人はどう扱うかなど、震災時の戦略や優先順位を決めているようだ。 この度の震災は、にわかに立ち上がった青年や主婦など市民の機転で救われた例が多々あった。その時、あそこには「オバアちゃんがいた」とか、あの人は「昨夜は夜勤でいない」などと叫び合えたことが決め手となって成果をあげている。 植物の威力 被災地で樹木をくまなく調査している人がいた。大阪に本社をもつ東邦レオ株式会社の緑化事業部統括役員の木田幸男さん(45歳)だ。1月24日から2月16日にかけて、淡路島を除く罹災地全域の古木から生け垣までを調査し、「東灘区の住吉神社では神殿や塀は倒壊し、本殿は傾き、石灯籠の多くも倒壊したが、柿の大木をはじめ庭の樹木にはまったく影響が見られない」といったメモにスナップ写真をつける方式で記録を残し、種、密度、樹高、剪定、冬場と夏場(落葉樹は大きく変わる)などの差と防災効果の関係に目をつけていた。 樹木は震災自体による直接被害を受けておらず、延焼をさえぎったり崖地の倒壊を防いだりした。つまり、植物は動物と同様に直接の被害から免れ、防災に貢献していた。ここに、これからの都市作を考えるうえでのヒントがありそうだ。自然や自然の力の取り込みだ。 植物の生かし方としては、街路樹、屋上の庭園化、芝屋根など屋根の緑化、壁面や窓辺にツル性植物を組み込むなど工夫は多々ある。植物を都市の装飾物としてではなく都市の主体としてとらえるぐらいの発想の転換が求められる。 植物には水と土がつきものだ。公園は広さや樹種もさることながら、緑と水と土の本質を生かすビオトープ化こそ肝要だろう。雨水を生かし、小川や池を組み込み、野生の動植物が自生できる空間だ。舗装は地下水脈を狂わせない雨水の地下浸透式にする。井戸を普及し地下水脈の異常を感知しやすくする、など。 緑と水と土を生かすと、まず大気が浄化されて日々の健康に良い。四季の移り変わりに敏感になれて情操にも良い。さらに、蒸発や蒸散あるいは凍結作用などが市街地のヒートアイランド化を防いでくれるし冬は温かくしてくれる。また、異常に敏感な野生動物とも身近に付き合えるようになり異変も感知しやすい。しかも防災効果まであるわけだ。 なお、屋根の生かし方は、緑化の他に雨水の涵養やソーラー発電など自然の恵みの取り込み方は多々ある。 都市再生 当然、何百年かに一度の「地震」とはいえ備えは大切だ。しかし震災だけに目を向けるのは不自然だ。むしろ、都市のあり方自体を見直すべきだろう。地球は深刻なほど病んでいる。もはや地球に寄生するような都市や、その都市に寄生するような生き方は許されない。つまり、都市は「地震」対策だけでなく、都市の「地球」対策や「人間」対策が迫られているわけだ。仮に、この震災がほんの何年か前、つまりバブルの前に起こっておれば、今頃は反省しきりの復興計画を立てていたのではないか。 21世紀は、環境問題と矛盾しない都市作りを求めている。まず未来を見通した理念の確立が急がれる。 政府の危機管理能力や地震保険がうんぬんされているが、これもどうか。むし政府は限りなく小さくし、地震保険よりも、たとえば、義援金の所得控除や損金処理を制度化するなど、相互扶助システムの確立を優先すべきだ。めったに生じない地震のために長年にわたって大勢の給与所得者などを作り出すような社会システムは不合理だ。欧米には、非営利団体への所得控除された寄付総額が国民所得の数パーセントにも達している例さえある。 大切なことは、私たちが自然に対する感受性を磨き、自然現象と真正面から取り組む心を養うことではないか。そしてバランス感覚や自立心を強くし、家族の絆や同胞愛や郷土愛を高め、自己完結性を取り戻すことが先決ではないか。 リーダーは、研究者には研究成果や不成果を細大もらさず随時公表させ、その生かし方は納税者にまかせたらよい。それが、さらに強い地震だってありうる自然への畏敬の念を深め、何が正常なのかをわきまえ、自然現象に敏感となり、異常と正常が見分けられる人びとに育てるはずだ。この度の震災を、そうした都市再生のチャンスと位置づけてはどうか。これを機に、次代の模範都市を創出し、世界が「神戸方式」と呼ぶまでにしてはどうか。それが大勢の犠牲者への最高のはなむけではないだろうか。 その秘訣は、太陽の恵みの範囲をわきまえた自然との共生にあると思う。