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アイトワ循環図
愛する心 08/11/30

 先週末のカテーテル検査の結果、退院を認められ、日曜日から再びわが家での生活になりました。入院期間のいきさつは、近いうちに備忘録としてまとめます。それにしても良い体験でした。「あの時、月曜日まで辛抱していたら」と考えてゾッとして目覚めました。すばらしい日の出で、朝食もおいしかった。妻は朝から居間と喫茶店の間を往復しながら恒例のかやくご飯作りとケーキの準備に追われていました。喫茶店が1年で1番忙しくなる日が明けたわけです。

 今から思えば、私が2週間余も庭仕事をしなかったこと自体が異常でした。それを見抜けず、反省です。その後の完全看護と三食昼寝つきの2週間は、5000字余の原稿創りと次の本のキャプション創りに専念させました。原稿は、時代の罠を明らかにし、その残酷な罠から抜け出すための提案です。キャプションは、その罠を察知した私が、半世紀にわたって講じた手を紹介する写真の説明です。この2つの作業に専念し、幸せでした。余命に希望と意義を見いだせました。

 思えば、この半世紀は実に残酷な時代です。その残酷さが、元自衛隊幹部に暴言を吐かせたり、元高級官僚の惨殺とその犯人を生みだしたりした、といえなくもありません。これらの因果関係を国と国民はどこまで解明してみせるか、興味津々です。というのは、社会保険庁が国民を裏切る行為を粛々と進めていた最中に、あるいは高裁が憲法違反と断じた行為を「そんなの関係ねえ」と自衛隊幹部が言い放ち、粛々と継続していた最中に、時の総理は「美しい日本」を標榜し、戦時中の「特攻隊員」を賛美し、今の国民に欠如した愛国心の復活を希求していたからです。時の総理と社会保険庁やこの自衛隊幹部との間に、いささかの連携もなかったとすれば、時の総理は悪しき国の体制に愕然とし、今の総理に断固とした改善を促すに違いありません。

 かくこの1ヶ月余を振り返っているときに、友が徒歩で訪ねてくれました。自転車でも走れないほど観光客で混雑している、と見て取ったのでしょう。前日にも1度、私の錯覚が原因で訪ねてもらっていました。私は、頭ではアイトワが1年で一番忙しい日と理解し、夜まで病室で待機することを覚悟していながら、なぜか電話で退院時刻は翌朝、と伝えていたのです。この友には申し訳なかったのですが、かやくご飯だけの昼食でしたが友と一緒に摂れました。妻たちはそのおにぎりを11時ごろにつまみ、あとは閉店後の6時ごろまで飲まず食わずであったようです。

 庭には午後、マスクをして出ました。1ケ月あまりの空白は歴然でした。私の体は、冷たい空気を吸うだけで肺が詰まり、痛くなることを早朝の放尿時に気づきました。庭は、霜に打たれて惨めな姿になっていました。トマトなど夏野菜は黒くなり、ダチュラの葉はしおれてはお化けのように垂れていました。ヤーコンの葉は、もはや茶に出来ない状態でした。霜が降る前に刈り取り、温室にでも放り込んでおけば救えたのですが、妻はその5分を割けなかったのでしょう。

 日が落ちる前に、妻に急かされて庭から引き上げましたが、軽い作業から手をつけて5時間あまりでしたが、妻が気にしていた庭仕事をほぼ終えられたように思います。トマトの畝の解体、トウガラシや山芋の支柱の取り払い、ジンジャーやダチュラの切り取りなど、畑を冬姿に新装する作業です。この作業で出た庭の残滓で、新しい堆肥の山を作り始めました。こうした一連の作業に携わりながら、なぜか私は赤紙1枚で戦地に狩り出された男の心境を偲びました。かくして、2〜3の例外を別にすると、通常の生活にほぼ戻ることが出来たわけです。

 月曜日の午後から雨がちでした。約束事はすべてキャンセルしていましたから、雨が降ると書斎にこもり、溜まっていた新聞や雑誌などの整理にあたり、雨が上がると庭に出て、12月2日に受け入れるグループ見学に備えました。このところ、短大時代の学生がよく立ち寄ってくれます。
 
2008年11月23日の日の出。ちょうど2週間前の日曜日を振り返り、感慨深いものがありました。タクシーの到着が10分ほど遅れそうだと知ったときに、待てない心境でした。妻は「救急車を」といいましたが、私は拒否しました。「こんなときに私が運転したのでは危ない」と妻が訴えましたが、それが正解と応えました。そうした やりとりもあっただけに、この日の出が嬉しかった。

朝食。野菜はすべて庭での朝採りです。2週間ぶりの味噌汁でした。昼食はにしんそばでしたが、そのニシンもこのメザシも頂き物でしたから、合わせる手に力がこもりました。夕食は畑の野菜やシイタケをたっぷり入れた水炊きでした。

新たな堆肥の山、霜に打たれたジンジャーやカンナ、ホウセンカやギボウシなども、トマトの畝を整理した残滓やしおれたイモのつると一緒に積み上げました。この分が堆肥化すれば1cmぐらいの厚さになってしまいます。奥に、古い方の山がありますが、上の半分をいずれ新しい山に移動させて積み上げます。その2つを合わせて3cmぐらいにしかならないでしょう。下の半分はすでに2年前半ほどかけて堆肥化しています。

イモのつるのキンピラ。妻は、霜に打たれて葉がしおれたサツマイモを見てあわてたようです。これだけの葉柄が採れたぶんの蔓を軒下に取り込んでいました。10本の苗代450円と、畝を耕し、除草をし、育てた成果がこのキンピラ+アルファーです。イモは、大部分をイノシシに盗られたようで、残りの3つほどを、揚げ、てんぷら、焼き芋にして味わおうと思っています。

秋刀魚の姿寿司を始めて賞味しました。頂き物の手作りです。秋刀魚の油が抜けた頃によい姿寿司ができるとか。もっと油が抜けた頃につくる名物もあるようです。月曜日の昼は、この4分の1とニュー麺で、その夜は妻と2人で、その残りと豚汁で満腹でした。

ブロッコリーの初収穫。頭をすべて切り取らずに、必要な分だけ順次切りとって食べます。それが、美味しさを満喫しながら花が咲く4月まで収穫し続けるコツです。それがゴミを一切作らない自然循環型の生活をするための第一歩でもあります。「エコトピアたより」には、スケッチをつけてその意義を盛り込んでいます。

最後のトマトと初収穫のズイキ。トマトの畝を整理して採れた残り物のトマトと、かろうじて収穫できたズイキです。青いトマトはピクルスに、ズイキはゴマ酢和えにします。