庭園にウリボウが来た
2010年6月2日、午後遅くのことでした。「ウズラがいた」と叫んで妻を呼びました。
2羽のウズラが庭の草むらに逃げ込んだ、とみたのです。そこは建物の角で、「袋のネズミ」と思いました。妻と手分けして、捕まえてみると2頭のウリボウだったのです。
ヒズメの先がピンク色に見えました。
深いダンボール箱にいれると、底で2頭は寄り添い、おとなしくしています。
牛乳を与える
「暗くなるのを待って、逃がそう」と私が言えば、妻は「お腹を空かしていないかしら」と心配。
炊事用のゴム手袋を活かし、妻が牛乳を与えると、少し大きい方の1頭は、とりわけよく飲みました。
夕刻まで
夕刻まで、箱に入れたまま放ったらかしておいたのですが、2頭は一度も、母親を呼ぶようなことはせずに、おとなしくしていました。
一帯が暗くなったので、段ボールごと裏門まで運び出し、逃がすことにしたのです。
逃げ行く様子をデジカメに収めたくて、一苦労が始まりました。
当時のデジカメはまだ、シャッタースピードが遅いので、妻が手を放すとウリボウが脱兎のごとく逃げ去ってしまうに違いありません。フラッシュを試したり、「よしッ」というまで手を放さないようになどと言って、息の合わせ方を試したり、と一苦労です。
寄り添うウリボウ
拍子抜けでした。逃げ出すどころか2頭は、妻の側に寄り添いはじめたのです。
なつくウリボウ
妻はしゃがみ込んで手を差し伸べました。
手を放そうとすると、大きい方が伸びあがり、放させまい、とします。
2日後
逃げてくれないのでチョット困りました。やむなくダンボール箱に2頭を入れ直し、山裾まで運んで行くことにしたのです。そこで箱から出して、今度は私たちが2人が走って逃げ出すことにしたのです。
相当走って振り返ってみると、ついては来ていませんでした。「きっとお母さんが見つけてくれるョ」と、安堵して帰宅しました。
2日後のことです。妻が裏門の一帯を掃除しましたが、死んだウリボウを見つけたのです。牛乳をあまり飲まなかった方でした。
「牛乳が飲みたくて帰って来たのかしら」とか「お母さんに見つけてもらえなかったのかもしれないね」と語らいながら、埋葬することにしたのです。
わが家にはチョット高台に、小倉池が良く見渡せるところに、犬の墓地があります。その一角で永遠の眠りにつかせたわけです。
翌年の秋
翌年の秋のことでした。イノシシが庭に侵入したのです。庭の随所にジネンジョが生えていますが、まずそれが襲われて毎夜のように侵入し、ついに畑までが襲われ始めました。
「あの子ではないかしら」と、妻が呟いた時に、「さもありなん」と思いました。
カラス事件
思い当たる苦い前例があったからです。
それは、忘れ難いカラス事件のことです。1999年の夏から始まった連続事件です。
実は、前年の1998年に1年間にわたって、わが家に撮影クルーが入っています。時には数日にわたってわが家に泊まり込むなど、何回にもわたる撮影でした。
監督、撮影、録音、そして助手からなるクルーが、アイトワの私生活を総計67時間ばかり収録し、正味45分ほどの番組『京都、嵐山に愛を見た』をつくって下さった。
その1度は、私が長期の海外出張中でした。私の両親と妻との関わりようの収録です。
帰宅して、「なんとまぁ」と驚かされることが生じていたことを知りました。
高木のてっぺんでカラスが営巣するに任せており、「ひな鳥が可愛いい」などと言って喜んでいたのです。不吉な予感がしました。だから、叱りました。
半年後に、予感は的中したことを知ったのです。妻はしょげていました。だから、「それ見たことか」とばかりの2度目の叱責は控えました。
その後、何日にもわたって、妻がはかない努力を始めました。手に石ころを持ち、悔しそうな顔をして、辺りを見渡しながら菜園を見まわる日々です。カラスにすればここで生まれ育ったわけですから、ここが「縄張りの中心」と思って当然でしょう。
この時に学んだことは、サルだけでなく、カラスも女性をなめてかかることです。
放映された番組には、カラスの親子の姿も収録されていました。
獣害ネット、獣害フェンス
かくして、イノシシに次いでカラスまで畑を荒し始めたわけです。
さらに、似たような失策が原因だとおもうのですが、シカも侵入する庭になっています。
ちなみに、その後、庭の周りに獣害ネットを張ったり、獣害柵を巡らせたりしただけでなく、畑の周りにも獣害フェンスを巡らせています。
サルは、このフェンスを上って畑に侵入することが分かったので、サル対策の電柵までフェンスの上部に張っています。
加えて、カラスは空から舞い降りますから、フェンスの上部に、テグスを碁盤の目状に張って防いでいます。