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アイトワ循環図

 アイデンティティと恒久化剪定法 15/12/06
                                               
 金太の住処を一晩で元に戻しました。もうすぐ生後17年目に入る高齢ですから「転居は気の毒だった」と妻は判断。私はアイデンティティの問題だと気付かされ、この日の最後の仕事にしたのです。ルーチンワークの後、勇んでキウイ棚跡の開墾に手を付けながらやむなく中断。問題のサルスベリを独断で切り取り、次いで金太の住処を1人で元に戻し、日没を迎えました。この日、妻はブロッコリーをアイトワ流で初収穫しています。

 翌朝は「バカげている」と思いました。この日から開催したCOP21のことです。京都議定書から18年目なのに、いまだに工業社会の延命策のごとき議論に終始しているからです。これではテロや難民問題は片付かず、より混とんとした世の中にしかねません。

 朝食の後、好天にひかれ、庭に飛び出しました。やる気満々でした。だがキウイ棚跡の開墾は午後に回し、まずトチュウの剪定から手を付けたのです。次いで、その並びにある自然生えのサルスベリ、そしてヒメザクロと順に、先週のヒメモクレンに施した恒久化しうると思う剪定法に倣い、枝を次々とさばきました。問題は最後のヒメザクロの時でした。

 三脚脚立の据え方が悪くて「アワヤ!」になりかけたのです。妻が居合わせたのが幸いでした。妻の身を張ったとっさの反応で、事なきを得たのです。また1つ、妻に「借りができたなぁ」と思ったのですが、そのときにふと阿部ファミリーを思い出しています。

 キウイ棚跡の開墾は午後から取り組みましたが、息が上がる前に中断。この日は大事な予定が2件続いてあり、その時刻になったのです。後の来客は、『次の生き方』の中国案件で、中国の読者へのメッセージをしたためてはと提案されました。そのおかげで、この人の「情熱の源泉」を知り得ましたし、とても嬉しいニュ-スも聞かされました。その後、キウイ跡の作業は翌日に回し、モクレンに恒久化の剪定を施し、その剪定クズでオブジェを造って回り、1日を仕上げています。妻はユズの果肉でマーマレードを造りました。

 キウイ棚をカボチャの棚に転用する作業は、週の前半で終えられましたが、計5度に分けて取り組んだことになります。この日は他に、橋本宙八夫妻と長女母子を迎え、ヨルダンの様子を聞かせてもらったり、古代エジプトエンドウの苗を植え付けたりしました。

 週の中日は、まさに秋水で明け、ブロッコリーとユズマーマレードを楽しみ、庭では剪定を兼ねたクボガキの摘果から始動。次いでシナモンとその周辺のサザンカなどの剪定。その後は畑の除草に精を出し、水中ポンプの工事で知恵を絞りました。夜半から雨。

 週の後半はカラダを休める1日から始まり、妻は、遠方から見えた数名の女性も交え、変則の教室にして楽しんでいました。この数名は、かつて顧問をさせてもらった会社の、今は会長の身となった人の呼びかけで、私も嬉しかった。だがこの日、辛い贈物もありました。

 金曜日は松尾さんと乙佳さんを迎える日でした。雨は上がっており、東京勤めの松尾さんを、里帰りの息子のごとく使いました。まずホダキの伏せ場に、2人でフェンスを張り、次いでワラビ畑など裏庭の手入れに当たりました。乙佳さんは、大豆と麹を持参してくれる日でした。何年か前から一緒に買ってもらい、分けています。この2人はともに元気。夕刻は、中尾さんに来てもらえ、水中ポンプの点検と、今後の打ちあわせをしました。

 かくして週末を迎えましたが、京都造形大学に出かけます。リクチュールプロジェクトですが、日本では今頃、エシカ?ファッションなどと、倫理までファッションにする動きをしていますが、「それがまた問題」とやんわり提起するスピーチを予定しています。
 


元の位置に戻した
前日「金太の家を移動させようか」と相談すると、あんなに喜んで手伝った妻だが、この日の午後のお茶の時間に「散歩や小便をさせてみて、転居は気の毒だったとわかった」と報告した。これぞまさに「アイデンティティの問題」と見た私は、今度は独断で元の位置に戻した。そうと知った妻は、「1人で運べましたか」と驚くと同時に、とても喜んだ。


根元から切り取った
このサルスベリは、4年ほど前に、妻が独断でプロに植えてもらった木だ。当時、私は半世紀前の「失策」を思い出し、問題提起したが、妻は関心を示さなかった。その後、妻も「マズカッタ」と気付いたが、中途半端な剪定しか許さなかった。やっと今年になって「もう少し大胆に切っておけばよかった」と分かったようだ。そこで、この日の「恰好の作業」と見た私は、独断で根元から切り取った。そうと知り、妻は驚いたが、枯れても仕方がない、と覚悟していたようで感謝もした。もちろん私は、これはこの木の終わりではなく、恒久化しうる剪定法の始まりでもある、と考えて切り取っている。


必要な分だけ順に切り取る
アイトワ流の収穫とは、妻が編み出した収穫法で、必要な分だけ順に切り取る。この方式で、ブロッコリーは翌年の4月まで収穫し続けるが、この方式にしたおかげで、ブロッコリーのおいしい部位と食し方に気付かされた。


キハダで試みた剪定法

トチュウ

トチュウ 剪定後
ここでいう恒久化しうる剪定法とは、キハダで試みた剪定法(毎年、新たに出た枝はすべて元から切り取る方式)だが、この度はトチュウやサルスベリにも適用した。これらの成果は2〜3年後に出るが、うまく行けば一種の成長抑制策であり、加齢対策でもある方式の成功例になる。「今ならまだ手が出せそうだ」と見た先週のヒメコブシに倣い、今週は背が高くなりすぎないようにザクロだけであんく、モクレンにもこの手法を適応した。

モクレンにもこの手法を適応

モクレン 剪定後


キウイとナンテンの根まで掘りだした

耕す範囲を次々と広げたくなった
キウイ棚をカボチャの棚に転用する作業は、計5度に分けて取り組んだ。それは、キウイとナンテンの根まで掘りだしたくなって躍起となり、エンジントラブルを予感したせいと、耕す範囲を次々と広げたくなったせいだ。


秋水のごとき朝焼け

クボガキの摘果
12月2日のまさに秋水のごとき朝焼けに元気をもらい、まず鈴なりのクボガキの摘果。次いでシナモンなどの剪定。その間に、井戸の水中ポンプの工事では善後策に随分知恵も絞ったが、この29年の間に水中ポンプは、錆対策では、かなり進歩していた

シナモンなどの剪定

剪定後

水中ポンプの錆対策は、かなり進歩していた

水中ポンプの錆対策は、かなり進歩していた


ホダキの伏せ場にフェンスを張った

3度の語らう時間を挟んでいる

バジル
松尾さんの助太刀を得てホダキの伏せ場にフェンスを張った。2人で取り組まないと難しい部分はし終えた。あとは1人で出来る扉つけ、天井張り、あるいは細部だが、それらは後日に回した。次いで裏庭の手入れをしたが、この間に3度の語らう時間を挟んでいる。この日、夜なべ仕事に、バジルとユズの皮を暖房のガスストーブで干し上げ、
バジルは手もみで、ユズの皮はコーヒーミルで、1年分の粉にしている

ユズの皮

1年分の粉